世間一般で「見切る」というと、見捨てるとか見限るといった意味で使われることが多い言葉ですが、勝負事の世界では、「相手の技のパターン解析を終えた」という意味で使われます。ケンシロウが「お前の拳は既に見切った!」などというアレです。
私の古武道の先生に教わったのですが、傍目に見て、何をやっているのかが分からない技も、恐怖心を乗り越えて、生体反射が起きないようにして、一発喰らってみると、概ね何をやっているのかが分かり、自分でそれをコピーできるようにもなるとのこと。まさしく、北斗神拳奥義 水影心ですね(笑)
武道の稽古に於いては、意図的に相手に怪我をさせないという前提があるからこそできることではありますが、当然一定の危険を伴います。
この時大切なことは、自分のことは脇に置いておいて、全て受け容れることだと思います。相手にのみ集中して観察し、自分の反応には一切目を向けないこと。
技が当たれば痛いでしょうし、当たるまで間は怖いでしょうけれど、そういった自分の感覚はひとまずスルーする。これだけでも相当難しいかもしれませんね。
とはいえ、こういった身に危険がおよぶような技の見切りが必要な人というのは稀だと思いますので、ここでは、日常で使える見切りについて話してみたいと思います。
配偶者や恋人といったパートナーや職場の上司やお客様から、言葉による激しい攻撃を受けた経験は多くの方がお持ちかと思います。
このようなとき、水影心の見切りが使えるのです。
相手の発言や表情、振る舞いを虚心坦懐に観察し、全て受け容れる。攻撃を味わってみるとでも言えましょうか。
心に突き刺さる言葉を刺さるに任せ、イライラする気持ちや傷つくことに一切構わず、自分の存在感覚を消して相手を観続ける。
相手との関係性によっては、条件反射的に怒りが湧いてきたり、反駁してしまったりするものですが、そういった自分の内側から生じる諸々も全てスルーする。
するとどうでしょう。なぜ相手がそのような言葉を選び、そのような表情をし、そのようなオーラを発し、そのような振る舞いになっているかといった情報がスッと自分に入ってくるのです。
このとき、これまでの自分では到底到達できなかったような理解の度合いを以て、相手の意図を汲み取ることができるようになります。
まぁ、なかなか難しいですけどね(笑)
これができるようになると、特に苦手な人というのものいなくなるものです。ぜひダメ元で実践してみてください♪
人の言葉、見切れていますか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪