「ららら むじんくん ららら むじんくん らららら♪」っと、まぁ、そんな感じで地球で暮らしている方々が少なくないそうですが、空間のことはさておき、時間と輪廻と縁起について少々妄想。例によってなんちゃって仏教な所感と考察です。
「この人、どっかで会ったことがある」と直感的に感じる人っていますよね?生まれてこの方、間違いなく会ったことないにもかかわらず。
もし、あなたが輪廻を信じる人なら、それはたぶん過去生で会った人だと思います。キリスト教的人生一発勝負な世界観の人にとっては、前提としてあり得ないお話なので、ここから先はお読みにならない方がいいでしょう。
さて、生きていればいろんな方々に随所でお世話になるわけですが、人生に於いてキーとなる出会い、恩、そういったものが誰にでもあると思います。それら人生の要石とでも言うべき出来事は、たぶん、生まれてくる前に計画していたことで、ある時が来ると発芽する種子のようなものだと私は感じています。そこでキーパーソンとなる人とは、事前に約束をしていて、特定のタイミングとシチュエーションで出会って何かをするように決めてきているという感じです。
だからこそ、そういった人に会うと、「この人、どっかで会ったことがある」と感じるんだと思います。実際、私の場合、自分が転機を迎えたときに重要な関わりをしてくれた人というのは、過去生でもなんらかしら大変お世話になってきた場合が少なくないようです。アカシックレコードによればですが。
私のひねこびた人間性をまともな方向に向かせてくれた方は、過去自分の母親だったり姉だったりしたことがある方でしたし、私が人の美しさにフォーカスを向けることができるキッカケとなった出来事をサポートしてくれたのは、大昔の過去生で憧憬を抱いていた方でした。例によって、アカシックレコードによれば。
そんなこんなで、どんなにドラマティックにみえることでも、実は仕込みがあることで、偶然としか思えない出来事も、実は必然だったりするようです。なんとも味気ないようでもあり、リアリティがありすぎて演技とはとてもじゃないけど思えなくもあり。なんだヤラセかよと思いたくもなりますが、やはり、ありがたいことだと思って受け止めることが健全な態度なんだろうと思います。
人生の波というのは、実はそんなものなのだと達観してしまえたら、生きることはさほど苦ではなくなりますね。
なんどもなんどもお世話になってるっぽい人、いませんか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪