メンタルセラピー業界にいると、正邪善悪なんて一般的基準ではとても判断できないことってたくさんあります。
これまでのクライアントさんで、不倫にハマっていた女性は少なくありませんが、彼女たちはハマりたいからハマっているのであって、善い悪いなんていう基準で動いているわけではないんですよね。
悪いと思いつつ、でもやっちゃう。分かっちゃいるけど、やめられない。人生のパターンとは、そういうものです。
私はセッションに於いては、クライアントさんの「経験したい」という想いを最優先に扱わせていただいています。それが一般常識的にどんなによろしくないことであっても、例えば、自殺や殺人であったとしても、ひとまずその想いを尊重して受け容れます。もちろん、幇助にならないように。
どんなことでも、実際にそれを経験してみない限り、それの何が悪いのか、どこが楽しいのか、どうしてやめられなくなってしまうのか、本当のところは分からないものです。
だからなんでもやってみたらいいと、おおっぴらに言ってしまうほどの豪放磊落さは、普段は持ち合わせてはいないのですが、セッション中限定で持ち合わせることにしています(笑)
『菜根譚』には、”世を蓋うの功労も、一個の矜の字に当たり得ず。天に弥るの罪過も、一個の悔の字に当たり得ず”(天下に鳴りひびく功績をたてても、それを鼻にかければなんの値うちもなくなってしまう。天地の神を怒らすほどの大罪を犯しても、心からそれを悔い改めれば、罪は残らず消え去ってしまう。 の意)というくだりがありますが、要はそういうことだと思うので、やはり、なんでもやってみたらいいと思うのです。
ジャン・バルジャンよろしく、根っからの悪人が悔い改めて、人様のために尽くす善人になった如く、その人が気づいたタイミングで、その人なりに精一杯のことをしたらいいんじゃないでしょうかね。
ところで、実際に人を陥れるような悪どい考えを持っている方に、セッション中に「それが本当に望むことなのか?」と問うてみて、「Yes」という回答が返ってきたことは今のところ一度もありません。
なんだかんだで感情がもつれて高ぶって、そういう状態が当たり前になってしまうと、「積年の恨み晴らさでおくべきか!」といった状態になってしまうというだけで、人が本心から他人の死や破滅を願うことって、本当に稀有なんだなって思います。
だから、安心して、「なんでもやってみたらいい」と言えるのです。
人って本当は美しい。
そう思いたいし、そう信じていなければ、やってられない仕事です(笑)
感情の高ぶりなのか、本心なのか、見極められていますか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪