何かする必要もなく、逆に何もせず、ただ理解してくれる。とにかく何言っても理解してくれて赦してくれる存在で指摘も指導も何もしない。そんな人がいてくれると自分は存在できる。みたいな感覚ありませんか?
私はそんな人が周りに結構いてくれるんだなと思うことがあります。
理解者は暖かく見守る親的な目線があったり、友達的であったり、それは、家族でなくても良くて、何もしてくれなくても良くて、何かしてもよいけれど。
生きてくにはどうしても色々な関係性とバランスがなくては存在できないから、理解者の存在がとても大切なんです。
そして、それにこだわらないことも。ずっとそばにいたい、そばにいて欲しいのであれば、寄る事もなく離れる事もなく、執着せず、でも放り投げず。そんな距離感と接触感覚が心地良いと感じていること。
自分で自分を理解して、人を理解しようとするから、人に理解されるという順番のようなものがあると感じています。いくつもの小さいサイクルが同時並行して無限に廻転している感じもします。
自分はどんな風に理解されたいかを自分で表現していくことは、自分を満たしていくことでもあって、そのように歩んでいくことがとても大事で、そう振舞っているうちに本当にそうなってくるんだなと最近実感しています。
そうなってくると、理解者も質が変わってきて、世界がどんどん変わっていっているように感じて、気がついたら自分もすごく変わっていた。そんな流れに身を置くことになると思うのです。
素直な自己表現、できていますか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪