量産型の宿命は撃破される脇役であることです。エース機に簡単にしてやられます。ザクだのジムだのあたりは散り際しか魅せるところがないのです。仮面ライダーのショッカーや北斗の拳のヒャッハーも同様に大量生産大量消費の対象です。
私は現在会社勤めをさせていただいておりますが、いくつかの業務経験がある中間管理職で、今のキャリアのままでいくと、せいぜいデザートザクといったところです。車で言うとマークⅡとかチェイサーとかミドルクラスのよくあるセダンでしょうか。誰でも知っているから人に説明するのは簡単だけど、これといって際立った特徴のない量産型です。この社会で日々大量生産され、スクラップされていく如く、社会の歯車として生まれては死んでいく名も無きリーマンです。
ところで、「戦場の絆」というゲームをプレイされたことがあるでしょうか?あのゲームでは、量産機はコストも安いし、代替がきくので、撃破されたところで、味方から特に文句は出ません。ザク1機を失ったところで、全然惜しくもないものです。しかし、ギャンやゲルググといった高コストな機体が撃破されると、自軍への損害は甚大で、味方への心理的負担も大きいものとなります。
少し見方を変えると、これってなんとなく人生に当てはまるような気がしませんか?
死んでも「はいはい。」で終わってしまう量産型ではなく、そのモビルスーツが撃破されることが本当に惜しまれる、自軍の作戦遂行上、必要不可欠なエース機でありたいなと。「良く生きるためには、死を思え」といったことがよく言われますが、死ぬときにどんな人でありたいのか、それを今から見極めること。
最期はザクに乗っていたいのか、ドムなのか、ギャンなのか。どうせなら、ワンエンドオンリーな機体がいいじゃないですか。そして、実は、最初から私たちは誰もがワンエンドオンリーな人なわけですから。それを無理やり量産型としての人生を生きるなど、もったいなすぎます。
またゲームの話に戻りますが、高コストな機体は性能も良いので、それなりの活躍を当然の如く求められます。撃破されないまでも、大した活躍をしなかった場合、仲間の期待を裏切ることになるのです。ちなみに、高性能な機体は、ゲームの中で特定の条件をクリアしていくと支給されます。
努力して高性能な自分にどんどんバージョンアップしていくことで、周囲からも期待されるようになり、お引き合いの声がかかるようになる。これも人生そのものですね。
常々予々努力して努力して、ようやくその人らしく人様のお役に立てるようになる。量産型から抜け出すことができる。量産型の生産ラインに乗った状態で努力しても、それではダメだということだと思います。量産型の生産ラインに既に乗っているのであれば、その中で突出した努力をするか、他のラインに乗り換えるかをする必要があります。生産ラインの量産型、努力も人並みでは、所詮は量産型の域を出ないのは当然のことです。
日々エース機たる努力をし、成果を出し続けない限り、私たちを待ち受けているのは量産型人生でしょう。
自分のユニークさを磨き出す努力をしていますか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪