木から見られている感覚って、感じたことありますか?
手付かずの自然に分け入ったとき、そこの木々が自分を見ているという感覚。お邪魔してます感とでも言うべきか。自分は完全にその場のビジターであり、他人の家に上がらせていただいているときのような若干の緊張感と違和感。
人様のお宅にいるときは、その家のルールを乱さずに過ごすことが当然のマナーですね。これが相手が自然となったときも、それを感じますでしょうか。
先日、パタゴニアの某店の店長から伺った話ですが、彼は、8日間アラスカの森をキャンプしながらさまよったことがあるそうです。野生の動植物との触れ合いのなかで、彼は人間はその場では完全に門外漢であり、自然と謙虚に過ごすようになると言っていました。そういった体験から、環境保護の大切さを実感したとも。
また、友人のロッククライマーの話では、自分が整った状態で岩と向きあうと、何処に手をかければよいか、どのルートで登るのが最適かといったことを岩が教えてくれるかのように、自然と楽に登っていくことができるそうです。逆に、自分の中に日常生活でのわだかまりなどの整っていない何かがあると、岩に拒絶されて、何度チャレンジしても登れないといったことが起きると言っていました。
私も山中湖付近のある森に分け入ったとき、その空間から視た自分の異質感にいたたまれなくなったこと、そして、その場で長く静かに過ごすことで徐々に森の木々とコヒーレント(※)な状態になっていく自分を見出し、ついにはシンクロした状態になる体験をしたことがあります。
※互いの波が干渉し合うこと
この状態は、異質感の原因になっている波が完全に静まるまで待たなければ訪れないようです。私はダイビングはしないのですが、サイパンの有名なダイビングスポットのGrottoに行ったとき、底知れぬ恐怖を感じたことがあります。どことなくその場に受け入れられていない、呼ばれていない空気感。おそらくあれも、長くその場に留まることができれば、空間の波長と馴染むことができたのではないかと思います。過去生でその場で溺れ死んだとか殺されたとか、そういったことが原因になっている場合は、セラピー的なことをしない限り難しいと思いますが。
それはさておき、自然との波のシンクロを感じられるようになると、空気の汚れた都会でも、そこに息づく街路樹や道端に咲く花が時として自分を見ていることに気づくようになります。
その感覚を自然との間だけでなく、人とのコミュニケーションに応用するとあら不思議。相手の感情や思考が自分に流れ込んでくるようになるのです。言葉はいらないというか。
ところかまわずそのモードに入ることはもちろんオススメできませんが、大切な人との間なら、そういった感覚をベースにしてもいいんじゃないかと思うのです。厨二病に感染した状態で言えば、ニュータイプ的な。
なんでいうんですかね、徐々に世の中がそんな風になっていって欲しいですね。
外の波とのシンクロできてますか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪