風に吹かれて心地良いのは、空気がそこにとどまっていないから。淀んだ空気に心地よさはありません。
川はいつも流れているから澄んでいて、その内に命を育むことができるものです。流れがなければ沼のようになってしまい、微生物かせいぜい虫くらいしか生存できない環境になることでしょう。
人の体も気血水の流れに滞りがないから健康でいられると東洋医学では言われています。流れとは命の躍動そのもののことなのだと思います。
一方で人には執着心というものがあり、心地良い状態にとどまろうとしたり、心地よさをもたらしてくれるものを身近にとどめおこうとしたりします。
それが如何に心地よさから自らを遠ざける行為なのかということに、なかなか本人は気が付かないものです。
もし、流れが生命活動そのものであるならば、流れを押しとどめるようとすることは、ものの命を奪うことに違いないのです。
ある一定の温度や湿度の風を同じ風速で吹かせ続けるというのは、自然には不可能なことですし、我田引水よろしく川の流れを堰き止めてしまえば、下流の生き物は死に絶えることでしょう。
水を飲まずに数日間を過ごすことは死に直結しますし、息を止めていられるのは、ギネス記録保持者でも20分程度です。
人の信頼や愛情などといったものにも恒常性はまったくなくて、常々メンテナンスが必要であることは誰もが分かっていますよね。それをやらないとどうなるかも。
言ってみれば、執着が命を殺すのです。
時々起きる殺人事件は、愛情のもつれやお金への執着が原因となっていることがほとんどですね。それが国家規模の民族意識や経済成長のお話になると戦争といった形を取るのでしょう。
執着がなければ、諍いなど起き得ません。
流れるものは流れるままに。それが自然であり、賢い生き方なのではないでしょうか。
風を捕まえようとしていること、ありませんか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪