プラス思考って、必要ないと思うんです。
謙虚さは必要だと思いますけどね。
なんでもプラスに捉えるとか、
ちょっと危ない臭いがします。
大人になっても底抜けに明るい人は、
どん底に暗いところを見てるから
そのような在り方ができるのだと思います。
ものすごいプラスを表現できるということは、
それと同じだけのマイナスを知っているから
だと思います。
福沢諭吉が印刷されている面だけしかない
1万円札って、存在しません。
世の中に男しかいなければ、人類は滅びます。
同様に、
紙を作れば、必ず表と裏があります。
水が流れるということは、高いところと
低いところがあるからです。
物事、どちらか一方にだけ偏りを生み続けることは
できないと思います。
たらいの水ですね。
一時的に偏りを生むことはできても、
それが永続することはありません。
だから、明るく振舞わなきゃいけない
なんてことはないと思うのです。
時には暗くしてみたらいいんじゃないですか?
暗さがなければ、明るさは分からないのですから。
それに、人間はどこからどう見ても有限の存在ですから、
プラスとマイナスのどちらかに偏るとしても
限界があると思うんですね。
”自分の限界がどこまでかを知るために
僕は生きてる訳じゃない♪”
なんて歌詞がありましたが、ホントそうですね。
所詮、たかが知れている限界を知るよりも
はなから無限を包含できる概念を私たちは知っているのですから。
それは、
– 1 + 1 = 0
ということです。
– 1 + 1 = 0
であるのと同様に
– ∞ + ∞ = 0
なわけですから、
ゼロは有限である人間が無限を表現できる
唯一の概念だと思うのです。
ちっちゃなプラスに留まることを目指すよりも
ゼロに戻る。
大したことでもないマイナスから動けなくなっていないで
ゼロに戻る。
”ゼロがいい ゼロになろう もう一回♪”(笑)
無限に偏ることをゆるすけれど、
自ら偏らせることはしない。
摩擦のない振り子が同じ幅で振れ続けるように。
ただそれを観察している自分に気づくこと。
その視点を保ち続けること。
それが中庸ということなんじゃないかなと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
ではでは、素敵な人生のひとときを♪