「人は見かけによらない」のですが、見かけによらない部分のある程度は、いつどこで生まれて、どんな名前を名乗っているかで決まってしまうということが、いわゆる運命学によって語られています。
星占いや四柱推命、九星気学などであれば、その人が生まれた瞬間の各種情報によって、その人の運命や性格的な傾向が決まりますし、姓名判断であれば、名づけられた名前の画数によってそれが決定されます。
webサイトや雑誌の星占いは、セグメンテーションが大雑把ですから、自分に当てはまるかどうかは、自分がそう思うかどうかによりますが、腕利きの占い師さんに鑑定してもらうと、過去のことが分かるだけでなく、未来のことも鑑定後検証してみると当っていることがあります。
すなわち、客観的にそのような情報が取得できるということは、ある程度のことは生まれた時点で既に決まっているのではないかと思うのです。
もし、諸葛孔明のような人がいたら、ある人の生年月日と時刻、生まれた場所と名前を聞くだけで、その人の人生のかなりの部分が分かってしまうのではないでしょうか。
1つ前の記事「人は見かけによる」で書いたように、人は見た目で決まってしまうことも少なからずあるものです。それがどれくらいかというと、「氷山の一角」という喩えから鑑みて1割程度でしょう。
なぜなら、氷の比重は0.9168ですから、氷山が浮いているとしたら、全体の約1割が水面から顔を出していることになるからです。
残りの9割は「見かけによらない」部分になりますが、見かけによらない部分は既に記述したように、生まれた瞬間に決定する情報に支配されています。
支配というのは言い過ぎかもしれませんが、それが物事への反応の傾向を決定づけるものだととしたら、自分の行動はその部分にコントロールされていることを認めざるを得ません。
したがって、見かけによらない部分(9割)の8割が生まれた瞬間に決定されるとしたら、人生で自由になるのは、残りの2割弱ということになりますね。
自分で言っておいて微妙な窮屈さを感じますが、実際、そんなものなのかもしれません。
むしろ、完全に全てが自分のコントロール下にあったとしたら、それはそれでつまらないようにも思われます。
ただ、後天的によってただでさえ少ない自由すらも制限されていくことには注意しなければなりませんね。
人生とはそもそも2割弱のコントロールしか利かないものだと思って、自由度を
100%と思うとメイルけど