人生の岐路に立たされたとき、これまでの人生の棚卸をすると新しい展望が開けてくるのかもしれないなと最近観じています。
私は過去に棚卸しを行なった内容を連綿とノートに記録してあるのですが、その時のノートを見返すようにしています。「してもらったこと / して返したこと / 迷惑をかけたこと」という吉本内観の3つの軸にほぼ沿った形で記述がなされているのですが、今読んでも身につまされるように感じるところは、未だ消化できていない点なのだと思います。
と言いますのも、私のセラピーのクライアントさんは、過去に私が人様にご迷惑をおかけした内容を、切り口を変えて見せてくださっているのだなぁと感じることが少なくないからです。
自分の内にない事柄は、外の世界に現実化しませんから、日頃からセッションで取り扱わせていただくテーマが、過去に自分がやらかしてきたことであるということは、ある意味で償いが終わっていないというか、カルマの解消が済んでいないということになるのでしょうね。
いたずらに罪の意識を持つことはよろしくありませんけれど、日々蒔いた種の刈り取りをさせていただいているのは、ほぼ間違いないように感じています。
時の捉え方には色々な立場があると思いますが、過去も未来も今この時に再び、もしくは、予めタッチすることができると私は思っています。
過去に未解決のまま残してきた課題というのは、今もなお、その時のリアリティを持って心の中で疼いているものです。多くの人は蓋をしてしまうのですが、これこそが人生の宝なんじゃないかと思います。
いくら見て見ぬふりをしても、それは勝手に終わることはないんですよ。だとしたら、早めに解決してしまうことが肝要で、今このタイミングで未解決の何かに気づかせてもらえたことは人生の僥倖であるとさえ思います。
真正面から見つめていくと、そこには必ず未来へのヒントがある。心の一隅を照らすことで、これから進むべき道を照らしてくれる何かが映し出されるように思うのです。
内面を見つめるといっても、あれやこれやと考えを巡らすことでは何も視えてこないと思います。ひとつコツがあるとしたら、心の蓋を開けたとき、体の反応を観ることです。胸や胃が締め付けられるような感覚であるとか、吐き気やムカムカ感であるとか、とにもかくにも、いたたまれない感じですね。それをただただ解釈せずに感じ取ること。
それによって、あの時、自分が本当はどう感じていたのか、あるいは、どう感じたかったのかというリアルな感覚に気づくことができると思います。また、ある程度慣れてくると、どのようにして自分で自分を欺き、人を傷つけてきたかというエゴとのやり取りにも気づくようになります。
こういった人生のパターンを知ることで、未来を生きるのがとても楽になるものです。転機を迎えている時には特に、これまで解消できなかったパターンを終わらせるためのチャンスでもあるのですから、是非、虚心坦懐に人生の棚卸しに取り組んでみては如何でしょうか。
蓋をしている心の疼き、ありませんか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪