「人生の成分は何か?」と問われたら、私は「言葉と時間だ」と答えます。
人は物事の認識や他の人とのコミュニケーションに言葉を使う必要があります。
言葉がなくても認識できる物事はたくさんありますが、言葉というラベルを貼っておかないと、知識として活用することが困難なのではないかと思います。
ノンバーバルコミュニケーションに含まれる非言語の情報というのも非常に重要だと思いますが、実社会をそれだけで渡っていくことは難しいでしょう。
そもそも言葉がなければ、会話もなければ書籍もないのですから、一個人の人生云々以上に文明の維持そのものに支障をきたすと言えるのではないでしょうか。
ボキャブラリーが増えれば、それだけ自分を表現する手段が増え、かつ、相手を理解する手段も増えることになるので、それはそのまま人生の豊かさ、につながっていくものだと思います。
また、日頃自分がどんな言葉を使うかによって、意識が大変強い影響を受けることはよく本などに書かれていることです。
人様を攻撃するような言葉を使うひとは、性格や表情すらも攻撃的になります。
相手への思いやりややさしさを表現する言葉を多く使うひとは、やはり、在り方もそのようになっていくものです。
いわば、「質の高い言葉は、質の高い人生をつくる。」ということになるでしょう。
時間については言うに及ばず。
時と共に生まれ、老い、死んでゆくことが人生そのものです。
もし時間というものがなかったらどうなるかについては、想像の域を出ませんが、物質がその形態をとどめておくことができなくなるのではないでしょうか。
時間がなければ、運動もないということになると思いますので、あらゆる粒子が活動を停止するはずです。
人間の感覚作用は時間に依存しますから、あらゆる運動が停止するということは、感覚作用もなくなるということになるかと思います。
感覚作用がなくなるということは、肉体の死と同値かと思います。
もちろん、この場合、死んだという感覚もないのでしょうけれど。
言葉は人生でおそらく唯一、無尽蔵に増やすことができるものだと思います。
時間は人生でおそらく唯一、一方的に減っていくものです。
この2つを大切にするか否かで人生の質がまったく変わったものになるのは間違いなさそうです。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪