「私、どうぶつ占い羊だから、おっとりしてるの~」
「B型女子ってA型男子からは敬遠されるのよねー」
「今日、獅子座がビリだったの~、さいあく~」 etc.
世の中はステレオタイプと思い込みで出来上がっているんじゃないかと思ってしまうほど、何かしらの型にはめ込むことが世界中で日常的に行われています。
バカバカしいと思うシチュエーションは少なからずありますが、人間のDNAは基本的にたった4種類の有機化合物から構成されていることを考えると、あながち型にはめ込むという考え方も間違っていないのではないかと思えます。
人間が、一見して型にはまらないように思えるのは、構成要素は少ないものの、組み合わせの数が人間の認識能力に対して無限に近いが故に、型を類推できないからなのだと思います。
構成要素が有限である以上、無限の型は理論的存在しませんから、遺伝子だけでなく、占星術や血液型や姓名判断や、この世に存在するありとあらゆる運命学を組み合わせても有限個の型に分類できるはずなのです。
とはいえ、そのような計算をしてみた場合、組み合わせの数が軽く人口を超えるので、実質的に無限の組み合わせと考えるのが妥当なのでしょう。
占星術だけを取り出してみても、全くの同時刻に地上の同一座標上でこの世に生を受けるということは物理的に不可能ですから、やはり、世の中で自分と完全に同じ型にはまる人間というのは、存在し得ないことになります。
人間はそのような理由で、いつでもどこでも誰でもが唯一無二の存在なのですが、きっと神様的な存在がいたとしたら、人間はある型にはめこまれた結果として生まれてきた鋳物みたいなもので、その人がどのような人生を送るかについては、与えられた鋳型を観ればほぼ分かってしまうものなのかもしれません。
それを逆手にとったのが運命学で、鋳型を見て、どう対処すべきかを考えたり、鋳型そのものについて変えられる部分を変えてみたりすることで、どうにかしてより良いと人間視点で考えられる人生を送れるようにあがくための情報について、人間が古来より研究をしてきた集大成なのではないかと思います。
人間の悪あがきたる運命学をどれだけ究めても、おそらく、事実上無限の型を熟知することは不可能に近く、運命に抗うことの難しさを思い知らされますが、実際によく当たる占いというのは存在するようです。
本人が占いが当たったと思い込んでいるだけの場合や伝説に尾びれ背びれがついているケースも少なからずあると思いますが、星を観て人の命運を知るといったお話は歴史上、枚挙に暇がありません。
有限個の要素と有限個の方法論の組み合わせの中から、最適なものをチョイスできたとき、それがよく当たる占いということになるのでしょう。
ただ、その組み合わせを見出した先生のお弟子さんの占いもよく当たるかというと、必ずしもそうではありませんね。これは先生の用いた組み合わせを使うこと自体が、お弟子さんの持っている「型」と適合していない場合があるからなのではないかと思います。
このあたりが話を無限にややこしくして、人間に容易に楽な人生を送らせないようにしているように思えてなりません(笑)
現代の科学が運命学的なものについては、ほぼ無力であるのは、パラメータが多すぎて数理モデル化できないからなのだと思いますが、むしろ、それはそのままにしておいた方が生きている楽しみがあるというものではないでしょうか。
事前に何もかも把握できる人生など面白くありませんものね。
適度に予測の精度を高めつつ、不確定要素に身を任せるというスタンスが、賢く浮世の妙味を楽しむ方法なのだと思います。
運命の読み解き、試してみていますか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪