私は家が裕福でなかったことに加えて、
両親が、
「義務教育終わったら学費は自分で払え」
という日本に於いては極度に放置プレイ寄りの
思想を持っていたため、
中学3年生で始めた新聞配達から
大学時代の屋台のたこ焼き屋まで
色々な仕事を経験してきました。
かくて、その間、1ヶ月たりとも
募金というものを欠かしたことがないまま
今に至るのですが、募金をするという行為が
もう当たり前になりすぎていて、
何の感慨もないというか、
鉢植えに水をやるようなイメージなわけです。
ここ数年、それはそれでどうもよろしくないと
感じるようになり、家以外のトイレに入ったときに
軽く掃除してみたり、人目につかないところで
ゴミを拾ってみたりしていたのですが、
それもだんだん鉢植えの水やりになってきて
しまいました。
たぶん、
「善行をしてますよ」
という実感が欲しいだけなんだと思います。
100%自己満ですね(笑)
そうかといって、震災のボランティアなど
1発がヘビーなものというのはさせて
いただいたことがなく、
あくまでも、日常生活に於ける
ちまちました行為だけを長期継続的に
実行させていただいています。
そんな私が思うのは、
「募金というのは輸血みたいなものだな」
ということです。
当座の処置として必要だけれども
いくらそれをやったからといって、
症状が根治しないものなんです。
数年来、国境なき医師団に支援を
させていただいていますが、
いくら人道支援をしても
戦争はなくならないんです。
どうやったらいいか分からないのですが、
やるなら対症療法ではなく、根本療法を
したいと私は思うのです。
何をやっても焼け石に水みたいな
世の中なのかもしれませんが、
1人がバケツで水をかけるのではなくて、
ダムの放流くらいになれば、
なんとかなるんじゃないかという
淡くて抽象的で厨二病的な夢想を
中3の頃から抱いているのかもしれません。
「まずは隗より始めよ」
私が坐禅や瞑想をするのは、
まずは自分の心の平安が
最優先だろうと思うからです。
そして、それが世界に拡げられたらと
結構本気で思っているのです。
リアル厨二病ですが(笑)
いつも心がワナワナしている人たちが、
平和を維持できるとは思えませんから。
私もまだまだですけどね。。。
ともあれ、瞑想するのが難しければ、
心を込めて、ちょっとした善行を
してみるだけで、驚くほど心が穏やかに
なるものです。
日頃心の波が静まることのない方には
是非お試しいただきたいと思います。
ではでは、素敵な人生のひとときを♪