昨日は、自分がなくなると
良いものが生まれるというお話をしましたが、
今日もその続きを。
自分がなくなった状態というのは、
ある意味で、何ものにも邪魔されないので
潜在的に自分が保有している真の力とでも
言うべきものが遺憾なく発揮されるのだと思います。
翻って、自分がある状態というのは、
何かと不都合が多いものです。
例えば、空手の組手で、
こちらが右の前蹴りを放つカウンターで
相手が左の上段回し蹴りを繰り出してきたときは、
こうやってガードする。
なんて、考えてながら対処していたら、
次の瞬間には床に倒れているわけです。
何かの研究や訓練、習い事などをするときなども
自分のやり方に固執する人は上達しません。
上手な人のやり方をよく観察したり、
優れた指導者の助言を求めたりしながら、
自分のやり方をどんどん変えていく人だけが
上達していきます。
コミュニケーションに関しても鼻っ柱が強い人は
避けられがちですね。
誰とでも話が合わせられて、相手をよく立てたり、
褒めたりする人は、目下の者はついてくるし、
目上の方からはかわいがられ、
多くの人から好感を持たれるものです。
仏教に「煩悩無尽」という言葉がありますが、
生きている限り、どれだけ努力しても
我というものはなくならないようです。
死ぬまでいつでも、気を抜けば
不都合が多い状態に陥る可能性がある
ということですね。
さればこそ、常日頃から
我がない状態でいることを念頭に置いて
生活することが、より良く生きる秘訣であると
私は思うのです。
生即禅
日々是修行ですね。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
ではでは、素敵な人生のひとときを♪