ここ最近、物事を学ぶときに、どうすれば効率よく学習できるかということを考える機会が多いのですが、これまで述べてきた1点集中すべしという主張とある部分矛盾するアプローチが必要なのだなと思うようになりました。
以前書いた(と思うのですが)1点集中に於いて必要とされるのは、インプットする情報の密度ですす。
映像というものがなかった時代、自分が直接会うことができない人に情報を伝達するためには言葉に頼るしかありませんでした。
現代は動画を誰でも撮って観ることができるため、受け手に眼力さえあれば、言葉によらず映像から情報を得ることが可能です。
巷に武道やスポーツの教則ビデオが販売されていますが、教則本で学ぶよりも遥かに多くの情報を得ることができます。
教則本だけで泳げるようになったり楽器が弾けるようになる人はあまりいないと思いますが、教則ビデオやライブ映像を見て上達していく人は少なくないのではないでしょうか。
「百聞は一見に如かず」ですね。
最近は、それをもじって「百見は一験に如かず」などというそうですが、やはり、ビデオよりもリアルな体験の方が圧倒的に学習は速いです。
そして、同じことを習うにも、どんな先生から習うかで、これまた圧倒的に上達速度が変わってくるため師匠選びもとても大切な要素となります。
上記と一見矛盾しているかに思えるのが、浅くても構わないからとにかく幅広く知識を得て、経験を積んでおくべしというアプローチです。
物事を理解するためには、大まかに分けて2つの方法があると私は思っています。
(1)要素に分解して整理する
(2)同様の事象と結びつけて感覚的に捉える
(1)はいわゆる分析のことですが、物事を分析するためには、ひとかたまりになっている情報を分解する軸を持つ必要があります。
例えば、虹がなぜ7色なのかを理解するためには、光が波であること、光が屈折、分散すること、可視光線は特定の周波数帯であることなどの知識が必要となります。
こういった知識がないと、虹のたもとには宝があるとか、虹を指差してはならないといった神秘的な話に原因を求めてしまうことになりがちです。
合気道あたりで、ちょっと不思議に見える技を気が云々とか神の御業とかなんとかという説明を受けて騙される人がいるのも無理からぬことです。
(2)は、パターン認識能力のことです。知識ではなく、経験を積めば積むほど磨かれていくセンスといった方がいいのかもしれません。
同じセリフを口にしても、セクハラを断罪される人と不問に付される人がいますが、その差が何であるかなどを見分けることができる能力です。
剣は手で振っているように見えるけど、重心移動を伝えているだけだとか、人がこれから何を言おうとしているのかが事前に分かるのは、携帯が着信する少し前にそれを察知できるのと同じ感覚だとか、そういった言語化しづらいものを記憶できるようになることがパターン認識の効用だと思います。
これがあると、ぱっと見が違っていても本質的には同じ構造であるとか、表現が違うけれども根拠としている情報が同じであるといったことが見抜けるようになり、物事の理解が急速に進むようになります。
パターン認識能力は広範な知識の習得と様々な経験によってしか得ることができませんが、これあるがゆえに専門的な情報をインプットした場合に有機的に情報を整理して理解することが可能になるのだと思われます。
したがって、大学の1、2年次で一般教養を学んでから専門知識を学ぶという教程を経るように、一点集中した学習を行うには、その前提として多種多様な知識と経験があるという状態が好ましいのではないでしょうか。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪