昨日のエントリー「学びの関係性」にて、師弟関係というのは、ちょっと特殊ですよ。ということを書きました。
弟子からすると、自分の全人格を懸けるような関係性であると。
一方、師匠の視座から視るとどうかということは、私が実際に弟子を取るような立場にないため書くことは控えますが、高度な文化の継承には師弟関係が必須なのだと思います。
たとえば、武道の流派や伝統芸能と言われるものがそれにあたります。
人に教える前に自分自身がその道を究めることにどれほどの時間を要するのか、果たして自分にその才能があるのかどうかすら、道を歩み始めた時には分からないもの。さらに、先人を追い越したとて、天井が存在しないもの。
そういった人生を懸けた取り組みが必要なものについては、当然、教える内容にその人の全人格が宿っているわけですから、ちょっとやそっとの関係性に於いて伝えることなど到底できようはずもありません。
端的に言えば、口伝は師弟関係の中でしか伝わらないということだと思います。
一子相伝と言われる伝承方法がありますが、コンテンツが外部に漏れないようにする目的だけでなく、そこまで選択と集中をしなければ、伝えきれないものだったという側面があったのではないかと思います。
その意味に於いて、北斗琉拳は漏れないようにすることが、南斗鳳凰拳は選択と集中が主たる目的だったのでしょう。
北斗の拳はさておき、世界には様々な伝統文化、芸能、技術がありますが、殊、日本に於いては、先人が長い時間をかけて築き上げた種々の素晴らしい智慧が日に日に失伝していっている状況にあります。
実際に鎌倉時代や室町時代に鍛えられた刀を現代の刀匠たちは再現できないと言うそうですし、織物の世界では完全に職人の手仕事が機械に取って代わられてしまったものなど数知れません。
このまま時が過ぎれば、いつか日本人の民族としてのアイデンティティの危機が訪れる日を迎えることになるのではないかとすら思います。
明治・大正生まれの先達からご覧になれば、私のような若輩者は日本文化の何たるかを全く知らぬに等しいことと思いますが、それでも私達の世代がこのままいたずらに日本文化が失われていくことを看過してはならないと思っております。
ということで、そろそろ具体的にやっていきますよ。
形ができてきたら、このブログも実名化する予定です。おそらくアメブロは使わないと思いますけれど。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪