心の息遣いを感じるとき、
それは生の喜びを味わっているのですか?
それとも、思考が止まらなくて心が息切れしているのすか?
あなたは、日頃、どちらを感じていますか?
Feelin’ comes.
Feelin’ comes.
Feelin’ comes to me.
そう。
大事なことは、Feelin’ comes to me.
と気づくことだと私は思うのです。
それが故に、止まらないha~haな毎瞬を生きる。
静けさのなかに力強い命の息遣いを感じながら生きる。
己が命の表現欲求との対話の中に生きる。
そのように連綿と続く時間のなかで、
ある日、人生の幕を閉じる。
そこにおそらく後悔はない。
なぜなら、常に充足した時のなかに浸っているから。
一方で、日々あくせくと走りながら考える毎日を送り、
人生でこの世界に何らかの足跡を残すことに奔走し、
肉体ないしは精神の限界まで、
頭が心身をドライブする生き方。
ある日、走馬灯を観る時、
自ら駆け抜けた人生を振り返って
あなたは何を想うのでしょうか。
そこに映っていたのは、
常に満足していない自分の姿なのでは
ないでしょうか?
自分が残してきたと思ったものは、
この世の幻だったかもしれませんね。
あなたにお子さんがおられるとして、
何を残したいですか?
お金?
家?
知識?
家柄?
私は万古不易のものを残したい。
それはおそらく、愛だけだと思うのです。
お子さんに愛を残すとしたら、
生きている毎瞬にそれを表現する以外に
方法はありませんね?
互いに愛の交歓に浸ること。
このとき、あなたは愛のビートに
満たされていることでしょう。
そんな感覚が死ぬまで続くとしたら、
「我が人生に一片の悔いなし」
と言って私は死ねると思います。
だとしたら、自分の子供だけでなく、
この世界に生きとし生ける物すべてに
愛情を持つ努力が必要でしょう。
その修練のプロセスが人生だと思うのです。
止まらない、離れない。
生まれてからビートの虜。
私はそんなふうに人生の幕を閉じたい。