先日、錬金術師の友人と、
渋谷Bunkamuraで開催中の
白隠展に行って参りました。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html
白隠禅師の名は、多くの方が
耳にしたことがあると思います。
小生は悟りというものがあるのなら
それを生きている間に観てみたいと
本気で思っている阿呆ですが、
白隠禅師ですら大悟に27年も
かかったことを鑑みると、
私の人生の残り時間のすべてを
かけても悟りを得られないのではないかと、
そこはかとない不安に駆られます。
しかし、きっと悟りは自ら得るものではなく、
自ずから訪れるものと信じて日々の精進を
怠ることのないよう修行に励みたいと思います。
と、般若湯の入った夢心地で
筆を執る不束者ではありますが、
今夜は恐れ多くもお釈迦様の苦悩に
想いを馳せてみたいと思います。
手塚治虫の『ブッダ』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4267890021/tag=drivingtech0b-22
この内容がどの程度リアルなのかはさておき、
シッダールタ青年は、栄耀栄華を極めた
生活に辟易とし、苦行を求めて出家をしました。
かたやシュードラ にもなれないアウトカーストの
人々は、少しでも楽な暮らしを切望していました。
まぁ、よくあるないものねだりというやつかと。
シッダールタ青年にとっては、
この上なく豊かな暮らしが心地よくなかったのです。
そして、アウトカーストの人々には赤貧洗うが如き
生活が心地よくなかったのです。
人は常に心地よさを求めるもの。
とはいえ、それがどんな状態なのかは人によるようです。
豊かな日本国では、年間3万人の自殺者が出る一方、
この本に書かれているような、本当に最下層という
言葉でしか表せないような環境に生きる人たちに
自ら命を断つ人はまずいないそうです。
『懸命に生きる子どもたち』
http://dokusume.com/modules/store/index.php?main_page=product_info&products_id=3396
私たちは、人によりますが、
なんだかんだ言っても生まれながらにして、
住む家もあり、着る服もあり、
食べ物があり、両親がいて、五体満足で、
教育も医療も受けられて、
平和で。
感謝以外にすることあるんでしょうかね?
サーリープッタやアーナンダも豊かな境涯を捨てて
出家して悟りを得ましたが、末法の世の現代なればこそ、
物質的に豊かなまま、悟ってみるというチャレンジも
ありなんじゃないかと私は思っていますw