自分にとってドストライクゾーンの美人に声を掛けるというのは、なにかと緊張してしまって、当たり前の会話すらぎこちなくなってしまい、うまくデートに誘えないなんて経験ありませんか?
逆にさほどでもない異性の場合、リラックスして接することができるからか、自然と食事に誘えたり、会話もスムーズで楽しい時を過ごせたりするものです。
私の友人の風俗嬢も、自分好みのイケメンがお客様として来ると、どうにも緊張してしまい、よいサービスを提供できないと言っていました。男女共にそういうことってあるものみたいですね。
最近は諸々執着がなくなったからか、ばっちり好みの美人であっても普通の方であっても自然に接することができるようになりましたが、それはそれでなんだかスリルがなくなってつまらないようにも感じます。
さて、私はさほどたくさんの本を読む方ではありませんが、軽い内容のビジネス書などはさらさらっと速く読んでも内容をひと通り理解することができる一方、専門書といわれる本やビジネス書でもドラッカーなどについては、じっくり読まないと理解できないという思い込みが私にはあるのだなと最近気が付きました。
確かに難解な書というのは、一度で理解しようとすることに無理があるとは思うのですが、精読しても速読しても、1回の理解度はかけた時間に比例はしないんじゃないかと思うようになりました。
3時間精読するの1回と、30分の速読6回ではかけた時間は同じですが、理解度という点では、もしかしたら速読6回の方が上かもしれません。もちろん、漢文の
ような速読がそもそも無理なものについては当てはまりませんよ。
この意味で、美人(≒難解な書)だと思って尻込みするのではなく、普通の女の
子(≒比較的平易な書)だと思って、さらっと読んでみた方が、存外楽にものに
することができるのではないかと思うのです。
ときに、美人に対して緊張したり、難解な書に対して構えてしまうのってどうし
てなんでしょうね?
基本的に緊張の裏には不安や恐れといった感情があるように思います。
相手が美人であれば、嫌われたらどうしようとか、相手にされないんじゃないか
とか、相手が本であれば、理解するのが大変そうだという決め付けとか、きちん
と理解しなければならないといった義務感のようなものがそれにあたると思いま
す。あぁ、そういえば、男性の心因性のEDなんかもこのパターンですね。
どうしたらいいかって? 端的に言うと、まぁ、楽勝だと思ってしまうことかな
と。人生、思い込みでどうにかなってしまう部分って多々あると思います。
何事も余裕が大切ですね。
ということで、
どんな相手に対しても余裕に構えてみては如何でしょうか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪