人を好きになるのに理由はないというか、あっても後付ですが、嫌いになるのには明確に理由があるものです。
好感を表現するのは、意外と難しくて、そんなに多くの言葉が用意されてはいないように感じます。
好きだ、愛してる、必要だ、欲しい、美しい、輝いてる、さわやか、かわいい、イケてる、…。この手の言葉については、とてもボキャ貧な私です(^_^;)
片や、嫌悪感を表現するための言葉はなんとたくさんあることでしょう。
嫌だ、嫌いだ、憎い、恨めしい、おぞましい、ウザい、臭い、エロい、ダサい、キモい、キショい、セコい、コスい、図々しい、ケバい、チビ、デブ、ハゲ… etc.
なんか聞いてて胃が痛くなりますね。。。
要は、人は相手を受け容れられないことが、受け容れられることに比べて如何に多いかということなのだと思います。
いわゆる鏡の法則によれば、好きでも嫌いでもどんな感情でも、それは自分の中身を外の世界を通して見せていただいているに過ぎません。
嫌だなと思う相手を攻撃することは、自分の受け容れられない部分を見て、それを非難していることになりますし、逆に嫌悪感を覚える相手を受け容れて誠実に接することは、自分にそうしていることにほかならないと思います。
どんなに攻撃的な人であっても、なんだかんだ言って、愛をもって人に接せられたら気持ちよく感じるものです。そういった人は、ただ、自分が人にどのように愛を表現したらいいのかが分からないだけ。
そんなふうにして、嫌な相手であっても、その人の可能性を信じて、それを敬って、自分のことはさておいて、無心に相手をインサイトするとき、人と人とは信じあえるんじゃないかなと思うんです。
ヒーラーがクライアントの痛みを写し取るような感じで、感情や信念や記憶についても相手の周波数にチューニングすることで共振が起きて理解することができるはずですし、言葉を超えたつながりが自然と発生するところに掛け値なしの安らぎが存在すると思うのです。
命が危険にさらされるような状況は別として、どんな時もできる限り相手を認め、受け容れることが、結局は自分の中の認めたくない部分をよく視て、それを受け容れることにつながるのだと思います。
嫌いな人ほど、たくさん自分の至らぬ部分を見せてくれているのだとしたら、それ相応の感謝の気持ちを持てるようになりたいものですね。
嫌な人を通して何を見ていますか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪