つい先日、ある人からの手紙がオフィスに届いた。
「課長、ラブレターです。」
って、おい。。。
「何言ってるんだか…」
ひとりごちながら受け取った封書は、
もう久しく受け取ったことのなかったもの。
丁寧な字で書かれた宛名に
少しだけ心が踊り始めた。
※※※
って、手紙の中身は秘密ですが、封筒や便箋、切手、使う筆に至るまで、心を込めて選んだことが伝わってくる本当に素敵なお手紙でした。
手書きというのはいいものですね。自然と伝わってくる滑らかな肌触りや人の息遣いといった温かい質感は、さもその人が近くにいるかのような心地がしてきます。
同じ「あ」の字でも、書く人によってまったく異なる味わいがあり、同じ人が同じ道具で書いた字でも、その時のコンディションによって趣が変わります。
手書きの手紙は、ひとつひとつの物事に付帯する情報量が圧倒的に多いので、受け取り手が無理に思いを馳せずとも、自然と書き手の意図が心にすっと入ってくるものです。
片や、日々私達がどっぷり浸かっているデジタルの世界と言えば、全体として膨大な情報量を持ちながら、個々の情報の密度の薄い、無味乾燥なデータの集合体といったものであるように感じます。
eメールやメッセンジャーは、記号的にしか意味を伝えることができず、揮発性の油のように時が経てば跡形もなく記憶から消去されてしまう人間味のない道具だと思います。
なるべく速く相手が理解できるように要点に絞って、できる限り短く書くものなので、書き手がそこに込めている情報量は極端に少ないものとなります。従って、受け取り手が諸々思いを馳せない限り、書き手の真意を汲み取れないことが往々にしてあります。
デジタル情報は、抜群の即時性があるものの、実は心理的なストレスが多い通信手段なのではないでしょうか。
日本に於いて、顔文字がこれほどまでに発達している背景には、情報のデジタル化によって情感の豊かさが失われることへの無意識の抵抗があるように思われてなりません。
それにしても、人の心がこもった手紙をいただいたのは、かれこれ高校生の時以来のことですが、小説『モモ』のように忙しいばかりで心に豊かさの失われた生活を送りつつある自分に気づかせていただくことができました。
Aさん、本当にありがとう。
お手紙への返事というものは、日頃大量に書いているメールの何倍も何十倍もその人のことを想いながら書くもの。
あの手紙を受け取って以来、かけがえのないものに気づきゆくこの頃です。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪