先日、奥久慈男体山で
山駆けをしてきたときのこと。
途中、どう考えても
ハイキングコースガイドに
掲載されそうにもない
切り立った岩壁を
文字通り命がけで登り切った後、
その先に人が通った形跡が薄く、
どうやら
道に迷ったらしいことに気づいた。
登山口まで引き返して
難易度の低いルートを選んで
登りなおすか散々悩んだ挙句、
易で卦を観てみることに。
このまま進む:地天泰
引き返す:雷火豊
どちらも悪くなさそうだ。。。
しばし瞑想。
今欲しいのは心の安寧というよりは、
心の豊かさだよなぁと思い、
引き返すことを選んだ。
難所を抜けたところで
別の登山者に出会い、
自分が鎖を見落としていた
ことが判明。
本当に救われた気がした。
そこから山頂、
そして、
下山までの道のりは
順調そのものだった。
あの時、
地天泰だからOKと思い、
そのまま進んでいたら
どうなっていたことか。。。
地天泰は英語では、
「Peace」と訳されている。
男体山は滑落死した人が
ちらほらいる山だ。
ということは、
死という名の平安を得ることに
なっていたのかなw?
などとぼんやり思う。
個人的に
易はかなり信頼できるという
印象を持っているけれど、
卦辞、爻辞がどうであれ、
直感に従って今本当に欲しいものを
選択することが大切。
文字を読んで、内容を吟味して
判断するという行為は、
所詮考え事でしかないのだから。