人が健康的に生きていく上で必要な食べ物の量って、実はそんなに多くないと思
いませんか?
昨今すっかり定着した感のあるメタボリックシンドロームという言葉や、時々話
題にあがる食糧廃棄の問題を観るにつけ、総じて現代人は明らかに食べ過ぎな人
が多いのではないでしょうか。暖衣飽食ならぬ「暖衣暴食」とでも言うのが適当
かもしれません。
「暴食」はキリスト教で7つの大罪の1つに位置づけられ、中世の魔術書では、
「ベルゼブブ」「豚」「蝿」と対応する罪とされるようです。
キリスト教に於いてどうしていたずらにたくさん食べることが良くないことと考
えられたかということは、歴史的・文化的背景に触れる必要があるので、ここで
の考察は避けますが、普通に考えてたくさん食べると、体がしんどいですよねw
私の場合、子供の頃から痩せの大食いで、どれだけ食べても太れない体質でした。
量を食べなければ食べないでこれ以上痩せもせず、体力が落ちるわけでもなく過
ごせます。逆に食べれば食べただけ出ていく感じで身につかず、なんだか食べ物
がもったいない感じさえする体なのです。
今ふと、「う○こ製造機」という某掲示板でしきりに使われる用語が頭をよぎり
ましたがw、言葉の意味としては、「何も生み出さない人の事。ニートを悪く言
う時に使われる事がある。」(はてなキーワードより)だそうです。何も生み出
していないという意味で私とは違と思いたいのですが、とにもかくにも、たくさ
ん食べることは「う○こ製造機」の稼働率を上げているにすぎないと感じてしま
うのです。
ちなみに、ベルゼブブは、新約聖書に登場する悪魔で、ヘブライ語で「ハエの王」
(一説には「糞山の王」ないしは、「糞の王」)を象意とするそうです
(Wikipediaより)。どうでもいいことですが、体の大きい方を悪しざまに言う
言葉に豚が関連しているのは中世以前に起源があったとは驚きです。
さて、そんなこんなで大食は育ち盛りの若者以外にとっては、ほぼ有害なのでは
ないかと思いますが、ここで食事量を減らす時のコントロール方法について書い
てみたいと思います。
私は痩せの大食いだったと書きましたが、本当にそうで、ご飯は必ず大盛りでし
たし、さらにおかわりもするくらいが当たり前の食事量でした。それを最近になっ
て減らそうと思った時に、急に理想的と考えられる量に着地しようとしてもうま
くいきませんでした。
頭で考えて量を決めるのではなく、いつも食べている量から徐々に減らしていっ
て、その時々の最適な量を探りつつ減らしていくことで、ストレスなく食事量を
減らすことができました。普通に食べながら減らす量を探ると言った方が分かり
やすいかもしれません。
徐々にこれ以上減らすのはちょっとなぁというラインが見えてきたら、それを適
量として定め、維持するように努める。とくに定量的な目標を定めずに系統的脱
感作のように徐々に僅かな空腹感に慣れていくのがポイントのようで、これは私
には効果がありました。
栄養学的に一日に何カロリーまでしか摂取しない云々などというのは、やったこ
とはありませんが、計算が面倒くさいですし、精神的ストレスが強そうだと感じ
ます。
好きなものを食べたいだけ食べるという感覚のちょっと手前まで食べて、そのラ
インを徐々に手前にずらしていくという体間隔に頼った方法は、わりと禅的な感
じですねw
精神をコントロールするよりも体をコントロールする方が楽。これはセラピーの
世界でも精神世界でも共通のようです。
ダイエットが精神的ストレスになっていませんか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪