結局、全部同じじゃないか。
と、書道教室で思ってしまいました。
何が同じって、
それになりきることというか、
分離しているものが統合されることというか。
ちゃんとした筆を持ったのは、
実に十数年ぶりのことでしたが、
あれやこれやと考えているうちは
当然うまく書けっこない。
ですが、自分が書くことになりきってしまう、
自分が筆を持って書いていることを
認識できない状態になってしまうと、
結果としてしっくり来るものが書けている。
たとえ、それが客観的に観て
うまくなかったとしても。
いや、実際に全然うまくないのですがw
うまくないとはいえ、本人としては
今の本人のレベルに於ける納得感が生まれるのです。
武道でも同じです。
合氣道に「竹斬り」という修行があります。
両端が非常に不安定な状態でキープされた
竹を木刀で斬るというものです。
「斬ろう」「斬ろう」と思っていると、
なかなか斬れない。
斬ることをあまり意識せず、
自分が剣を振っているのか、
自分が剣なのか、あるいは据え物なのか、
感覚の上で区別がないような状態でいると
綺麗にすっぱり斬れることが多いように思います。
これはまさにそういうことです。
まぁ、剣の持ち方とか、
据え物との位置関係がおかしかったりすると
斬れないことも多いので、
形ももちろん大切ではありますが。
いずれにしても、こういったことは
往々にしてあるのではないでしょうか。
カルマヨガにせよ、
禅にせよ、
祈りにせよ、
引き寄せの法則にせよ、
本山博先生の言う超作にせよ、
多くのお稽古事にせよ、
つまるところは
全部同じことですね。
「それになりきること」
なりきれないから色々と悩むのだろうと思います。
嫌なことになりきるというのは、
ちょっとハードルが高いことだと思いますが、
それについては、また今度書いてみたいと思います。
それになりきれたら、楽になることありませんか?