「寿命について」という記事をアップしたついでに、父と「長生きなんてしなくないねー」などと話していたところ、90手前まで生きて大往生を遂げた、父の工房の大家さんの話になりまして。
彼には私もお会いしたことがあるのですが、本当にすごい方でした。御年80を過ぎてなお、日々山仕事に精を出し、1日5食で1升飯を食らうという。まだ60代の私の父よりも見た目が若々しいというか、快活さに於いて圧倒的に父のそれを凌いでいました。
最期は、肺炎で亡くなられたそうですが、床に就いて4日でぽっくりと逝かれたそうです。直前まで元気に働いて、あまり苦しむこともない死に方。理想的な幕引きだなぁとしみじみ思ったものです。
ところで、都会の老人と比べて、農村の老人は元気な気がするのは私だけでしょうか?
都市生活者の老人にも元気な方はいらっしゃいますし、そういった方が活躍されている現場に私が足を運ばないだけなのかもしれませんが、普通に考えて、山仕事のような足腰を酷使する状況は都内のどこを探してもなさそうですし、山村のように水や空気の澄んだ環境というのも見つかりません。
都会で生活することは、自分を自然から切り離すこと。そう考えると、都市生活そのものが不自然でストレスフルなものであると考えることもできると思います。
「身土不二」(※)という言葉がありますが、人は自然に身を置くことが自然というのは、考えてみたら当たり前のことですね。
------
(※)身土不二(Wikipediaより)
1912年(明治45年)、食養会理事で陸軍騎兵大佐の西端学が、この考え方を表すために提唱した。石塚の考えを一般化するために「地元の食品を食べると身体に良く、他の地域の食品を食べると身体に悪い。」と解説したところ、京都の僧侶が「仏典に身土不二という言葉がある。」と教えた。仏典とは意味が違うが、西端は以降この説を「身土不二(じ)」と呼び、食養会独自の大原則として広めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E5%9C%9F%E4%B8%8D%E4%BA%8C
------
農薬漬け、添加物だらけの食品は言うに及ばず、人間の自然な移動速度を考えると、空輸されてくる食べ物を摂取することなども不自然です。体は食べ物からできているわけですから、不自然なものを摂取しつづければ、不具合が出るのは当たり前ですね。
ここに本来の仏教的な意味での「身土不二」(「身」(今までの行為の結果=正報)と、「土」(身がよりどころにしている環境=依報)は切り離せない、という意味。 引用元同上)も、実現されていると言えるかもしれませんね。
人生のできるだけ早い時期に自然と自分を切り離すことをやめて、自然な環境に戻って暮らしたいものです。
たまには、土を意識する機会を持ってみては如何でしょうか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪