密かにリスペクトしているダンサーの
山田うんさんのブログを拝読していたら、
こんな一文が目に留まりました。
”国籍は衣服のように着替えることができても
言葉は皮膚のように密着していて
ある意味で肉体であるから
取り替えることができない”
う~ん(山田うんさんのブログ)
http://d.hatena.ne.jp/yaun/20130228
昨日書いた記事をふと思い出し、
読み返してみると、
自分の思考は浅かったなと。。。
捨てきってなお残るもの(昨日の記事)
http://ameblo.jp/ki-aikido/entry-11480807345.html
言葉は自分ではないものであるにせよ、
捨て去ることは難しく、半ば人生の構成要素の
1つになっているというのが正しい取り扱いのようです。
私の師、鮒谷さんは、
「10分も話せば、その人の人となりが分かる」
と仰っておられました。
鮒谷さん発行のメールマガジン「平成進化論」
https://www.2nd-stage.jp/as/l.html
確かに、上場企業の経営者が人前で
「てゆーかぁ、あいつさぁ、マジありえないんだけどぉ~。」
などという言葉を発するわけがありませんし、
おちゃらけ社会派のちきりんさんが、
「そんじゃーね」という挨拶をしたとしても、
ブログ記事の内容やお話の内容を聞けば、
すぐに凄い方だということが分かると思います。
Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
だから、やはり、言葉というものは、
とても大切に扱わなくてはならない
取り扱い注意な代物だということなのだと思います。
自分の発する言葉が人生を形作っている。
そう思ったら、私など軽々しく言葉を口に
できなくなりそうですが、日々精進ですね。
言葉に重みがある方というのは、
言葉に人生が乗っているのでしょうね。
魂というか。
それだけの言葉を抱えた体だから、
背中で語ることもできるのでしょう。
棺桶に入る時までには、そんな漢になっていたいものです。
ではでは、素敵なひとときを♪