本日は、ダンス公演を観て参りました。
山田うん ソロダンス 『ディクテ DICTEE』
@ 世田谷パブリックシアター
http://yamadaun.jp/?p=1049
彼女のツイッターやブログを拝読して、
尋常ならざるものを感じて、
初めて生で観に行ったのが、
昨年12月。
Co.山田うん年末ダンス感謝祭
というイベントでした。
これはワークショップ形式で
一般参加者がメインのイベントだったので、
是非ソロを観てみたいと思い、
今回その機会を得たわけですが、
ホント壮絶でした。。。
表現したいことに対して、
表現媒体が不自由であることの葛藤というか、
得も言われぬ苦しさを感じた70分。
ダンスを観て苦しいってなんだよ。。。
良い意味で新鮮かつ鮮烈に心に残るものがありました。
途中、喋るパートがあるのですが、
彼女の喋りは非常に身体的。
ちょっと普通の話し方ではない感じ。
そして話してても、言葉では表現しきれなくて苦しい印象。
このあたり、拙いながらもとても共感しました。
私がセッションのメソッドとして、
言葉に頼らないものを選んだ理由の1つは、
言葉は局部的に情報を切り取るはたらきしか
持ち得ないから。
言葉だけの誘導にはかなり無理がある。
だから一般的なカウンセリング的なことは
やりたくなかったのです。
(カウンセラーさん、ごめんなさい)
武道も同じで、教則本を読んでも
上達するわけがないし、
いくら達人の話を聞いたからといって、
体を使って稽古をしなければ技を習得できる
はずがないのです。
とはいえ、言葉には深くて広い情報を表現できないかというと、
必ずしもそうではないと思います。
例えば、和歌。
たった31文字であれだけの世界観を表現できるのは
凄いことだと思います。
もちろん、日本語だからこそ成し得ることだと思いますが。
他には小説。
文章を読んだだけで、鮮明に情景が浮かんでくるというのは
なかなかに凄いことだと思います。
翻って、その時の状態をよく観察していただきたいのですが、
その時、みなさんの頭の中には、言葉はありましたか?
ないですよね?
言葉から紡ぎ出された映像なり音なり臭いなりを
感じているのではないでしょうか。
言葉そのものの定義を理解しているのではなくて、
言葉を入口として想起された世界に浸っている状態。
一般的には、こういった入口となるのは、
言葉以外の表現媒体が多いと思います。
絵画や演劇や映画や音楽など、
芸術というカテゴリーに属するもの。
私は言葉で説明することはできない世界を表現することが、
人の根源的な表現欲求なのだと思っています。
だから、言葉で何かを説明することは空ろだと感じて、
多くの人が表現媒体として言葉を選択しないのではないでしょうか。
芸術家も治療家も武道家も言葉で表現することはしませんね。
ということで、自分の内側にある言葉にならないエネルギーを
感じておられるのであれば、それを言葉に変換しようと
するのではなく、直接的に表現できる方法を探してみては
如何でしょうか?
きっとそのプロセスは、人の心を豊かにしてくれるものだと思います。
今日の山田うんさんのように。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
ではでは、素敵な人生のひとときを♪