儒教を学校教育に取り入れるのは
憲法20条に触れるという議論があるそうですが、
そんなことはさておき、
儒学を子供のうちから修めることには
やはり価値があるのではないでしょうか。
教育史や憲法や儒学そのものにも
殆ど造詣のない私が論じるのは
憚られるテーマではありますが、
そう思うのです。
齢、30半ばとなり、
例えば、幕末の志士が私の年の頃に
何をしていたかといえば、
もう人生の大仕事を終えているわけですよ。
人生そのものを終えているケースすら少なくない。
それと比べて自分はなんだ?
と、情けなく思うわけです。
昔の日本人には、はっきりとした生きる規範があって、
その基本が儒学だったと思うのです。
(詳しくありませんが)
最近になって、朱子学の入門書たる
『近思録』を読み始めたのですが、
それはそれは明確に書いてあるんですね。
人間はどう生きるべきか。
四書五経、孔孟、老荘の教えを交えて体系的に。
こういったことを人生の基盤となる価値観として
幼少の頃に形成できていれば、
今の世の中に溢れかえるどうしようもない
問題の数々は起きなかったものもたくさんあるのではないかと。
翻って、自分の人生はもっと豊かなものに
なっていたのではないかと思うのです。
今も十分豊かに生活させていただいているとは思う反面、
人間としてなっていない部分をこの年にもなって
痛感し、それに心を煩わせている自分がいたたまれず。。。
儒教自体は、もう旧いマニュアルなのかもしれません。
けれど、新しいマニュアルを開発する際には、
旧いマニュアルは参照されるべきだと思うのです。
先哲の智慧を十二分に知った上で棄て去るのは、
在り方として正しいと思いますが、
見ず知らず触れずして、新しいと思う道を
歩み始めるのでは、きっと先人の到達したところにすら
至ることはないのではないでしょうか。
時勢としても人生としても今更儒学ですが、
人としてまともに生きるために今から学んでいきたいと思います。
あ、ちなみに、近思録の道体篇は、
世界の諸宗教、神話に於ける宇宙開闢のお話と
ほぼイコールで、とても興味深いものがありますよ。
今回も小難しい風味のお話を最後までお読みくださり、
ありがとうございます。