最近、人間の体というのは、知れば知るほど本当に賢く精妙に創られているな~
という感慨を深めております。
医療だの薬だの人間が考えだした対症療法的なものは、救急の場合以外は必要な
いのではないかとすら思えてきます。
整体界の泰斗、野口晴哉先生もその著書『整体入門』のなかでこんなふうに述べ
ておられます。
”頭を通さないで、意識以前の快さをそのまま感じて、それが行動につながるよ
うに生活すれば、人間は自然に丈夫になるのですが、意識が発達するとそれが難
しい”
そうそう。そうなんです。ホントそう思います。体は生まれながらに知っていま
す。どうすれば健康でいられるのかを。どうやって動けば故障しないのかを。故
障しても勝手に治りますし。人間が治してるのではなく、治るんですよ。勝手に。
以前も取り上げましたが、かのTEDにこんなスピーチがあります。
『Jill Bolte Taylor博士ののパワフルな洞察の発作』
http://www.ted.com/talks/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight.html
彼女曰く、左脳に支障をきたすと「ニルバーナ」が訪れるそうです。世界中の真
面目な仏教徒がこぞって目指すあの涅槃の世界に到達してしまうんだそうですよ。
私も死ぬまでに一度は垣間見てみたい。。。
それはさておき、生理学も脳科学もまるで詳しくない私の乱暴な解釈では、脳に
はどうやら人間を心地よくない方向に導く機能が備わっているのではないかと思
うのです。
野口先生もTaylor博士も「考えない状態でいるとキモチよくなりますよー」と、
これまた乱暴にまとめれば仰っているわけであります。
しかし、世の中うまくできているのかできていないのか、人間として生まれてく
ると、早晩、考えない個体は排除されるような仕組みを持った社会が私達を待ち
受けているではありませんか。
生まれてくることは即ち、考えなければならない(=不快な)環境への強制連行
であり、生得的快楽の逓減プロセスに身を投じることに他ならないと言うことが
できるかもしれません。
生まれる前の意思というものがあれば、それを選んだのか、選べなかったのか、
よく分かりませんが、人間はそんなにストイックというかマゾヒスティックな生
き物なのでしょうか(笑)
何はともあれ、健康で文化的なある程度の生活を営むことができる程度に考えら
れ、かつ、煩悩のままに振る舞うということさえなければ、あとはてきとーに考
えないで暮らしていた方が、心身ともに快適であることは間違いなさそうです。
たまには、考えるのをやめてみませんか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪