人生、宿命8割
生前に用意した下駄を履くかどうかで人生は大きく変わってしまうようです。
物事、自分の努力次第で一流にはなれると思いますが、超一流にはなれる人となれない人がいます。
この差は何でしょうか?
これこそが正に宿命の下駄を履いているかどうかなのです。
宿命の下駄とは
では、宿命の下駄とは何かというと、自分が生前に用意してきた課題をクリアすることです。
昔ドリフで志村けんのあたまに様々な物が落下してくるコントがありましたね。
小さなボウルから始まって、果ては一斗缶や巨大な盥が降ってくるお決まりのヤツです。
あれ、終盤は相当痛そうでしたね。。。
人生の宿題とはそのようなもので、早期にクリアするほど楽なのですが、現象(≒ 天からの呼びかけ)を無視したり、正面から向き合ってクリアできなかったりすると、次は難易度が上がるようになっているのです。
死ぬまでクリアできずに人生を終える人も数多おられるように拝察します。
ある意味では、これが輪廻転生の原因の一つと言うこともできるのかもしれませんね。
志村けんも時折、「角から落とすなよ」と文句を言っていましたが、天にツバしても仕方のないことです。
「そんなこと言っても、生きていれば次から次に問題が発生して、何が生前の宿題なのか分かったものではないではないか」
と言われそうなものですが、実にその通りですね。
だからこそ、自分の宿命を知るためのヒントが与えられている。
それが算命学だと私は思うのです。
今生のテーマを読み解くには
命式を見、流年運に沿って、その方の人生経験をお聞きしていくとと、概ねどのような宿命を背負って今回生まれて来られたのかが分かるものです。
例えば、いつどこで何をしていても自分の居場所がない、自分の居場所ではないと感じてしまう傾向が強いとか、そういった感覚や経験があるといったことです。
こういったことを理解していないがゆえに、本当はとても運気の良い時期なのに、それまでの課題をこなすことができずにチャンスを掴めなかったという方は少なくありません。
逆に、自分の宿命を理解し、運気の流れ(どのような出来事に直面することになりそうか)を理解した方は、それを十全に活かした人生を送っておられます。
もちろん、理解しただけではダメで、やるべきことはしっかりやらなくてはならないですが。
翻って、そんなもの知らなくても人生がうまくいっておられる方は多々いらっしゃいます。
ただ、今現在うまくいっているように見える方が本当にストレスなく幸せなのかは、本人でないと分からないというのが実態でしょう。
また、継続的に良い状態が続くのかというと、それもまた別問題です。
つまり、宿命の下駄を履くことは開運の必要条件でありながら、満足して死ねる人生を送るための十分条件ではないということです。
宿命の下駄を履いて、開運の戸口に立つまでのプロセスもそうですが、運気が開いて以降、長きに亘って幸せな人生を送るために大切な宿命の見方というものがあるのです。
それを端的に言ってしまうと、宿題をこなす際に自分の感情をどう処理するか。
人生のコツはこの1点に尽きると言っても過言ではないように観じておりますが、なかなかどうして、自分の宿命をよく知ること以上にハードルが高いのがこの部分。
日々、人様の鑑定をさせていただくにつけ、そのように思うのです。
感情との向き合い方については、また機を改めて書くことにします。