「2歳理論」と命名した経験則がある。
人間は皆、年齢の下1桁が「2」となる歳が人生の節目となっているのだ。
あくまでも経験則だが、これまでの人間観察からしてほぼ間違いなく、世の中はそうなっていると感じている。
予め誤解のないように明記しておくが、良い悪いを論じるつもりもなければ、自分の能力が高いと言うつもりも毛頭ない。
むしろ、私は荒れた家庭環境に育ち、 幼少期から思春期にかけては経済的に恵まれない身の上だったし、対人感受性が極めて低く、それを克服することに散々苦労する人生を送ってきた。
それ故に人と自分を比較して、人の研究をよくよく行うこととなり、独自の経験則を導き出すに至ったのである。
何の役に立つかは全くわからないし、統計的有意性もないが、人間観察のポイントとして参考にしてくださる御仁がおられたら幸いである。
ぜひご笑覧ください。
2歳
円満な人格形成の限界
「三つ子の魂百まで」と昔から言う。
日本で満年齢での年齢計算が法的に決められたのは昭和24年のことで、それまでは数え年での年齢計算は一般的であった。
つまり、「三つ子」とは満2歳のことである。
この歳までに、人格の基礎基盤が形成される。
原初療法のアーサー・ヤノフ曰く、愛情、おっぱい、居場所、スキンシップなど乳幼児期に母親から与えられるべきものが不足していた人間は、一生涯その影響を引きずるそうな。
つまり、その人の人格に甚大な影を落とすトラウマがこの頃に形成される。
そして、この時期に形成されたトラウマは、退行催眠のような特殊な方法を用いない限り顕在意識に登ることはないから、普通に社会生活を送れていれば、何かしら対処をしようという気すら起きない。
もちろん、これ以降7歳くらいまでの期間も人格形成期として重要であることは言うまでもない。
12歳
地頭をつくる限界
地頭が良いと思われる人にインタビューすると、間違いなくこの時期に運動や勉強、習い事などに集中して取り組んでいる。
脳に十分な刺激を与えていると言ったらいいだろうか。
上から目線で物を言って申し訳ないが、合氣道の指導をしていた経験から推定して、12歳までに身体および知能を耕すことがなかった人間は、残念ながら生涯に亘って地頭力がいまひとつな状態に留まると言えそうである。
従って、この時期に地頭力を形成できなかった方は、知的活動を人生の土俵としない方が良いと思われる。
余計なお世話でごめんなさい。
22歳
身体性の瑞々しさの限界
これも合氣道の指導員をしていたので感覚的によく分かるのだが、高校や大学の部活でたった数年間だけ合氣道をしていただけの人に、23歳以降に入門して10年、20年やっている人が追いつくことはほぼない。
とうが立った大人より子どもの方が圧倒的に上達が速い。
12歳までに地頭が形成されている子は尚の事速い。
これは体を使う物事万般に言える。
それだけ、22歳までは身体感覚が鋭敏なのだ。
男性諸氏に振り返っていただきたいのだが、セックスの快感、具体的には鋭い射精感は18〜22歳あたりがピークだったと思わないだろうか?
行為に対する新鮮さがなくなることも相俟って、身体機能の低下と共に飛距離も落ちるし、ビビッドな快感が色褪せていく。
余談だが、知的活動については、年齢を重ねて脳をよく耕している人の方が若者よりも返って理解が速いものだ。
32歳
目上からバトンを渡される限界
この歳を超えると、親は別として、何らかの力を持っている目上の方から、無条件に良い機会を与えられることはない。
ざっくり社会人10年生ともなれば、当然に一人前と見られるようになって、先輩に指導していただくような機会はなくなる。
端的に言って、可愛がられることがなくなるのだ。
ちなみに、宇宙生命論によると、自己形成が完了するのは32歳だそうだ。
つまり、32歳以降は完全な大人として見做されるということなのだろう。
42歳
利他へのシフトの限界
この歳まで利己的に生きてきた人間は、言葉をどう取り繕おうとも、死ぬまで利己的に生きていく傾向にある。
利他の道を歩んでおられる御仁にインタビューすると、ほぼ間違いなく42歳以前に利己的な生き方を改める出来事に遭遇されている。
「男40にして顔に責任を持て」
などと言われるが、顔はその人のリアルな履歴書。
私は仕事の一部として人相観を多々用いているが、顔というのは整形でもしない限りまず偽ることができない。
仮に整形手術を行ったとしても、目は絶対に偽れない。
世の中怖いもので、人物鑑定ができる人は、人に会った瞬間に相当なことまでプロファイリングできてしまう。
日々鏡に映る顔を通して己の心を省察したいものである。
ちなみに、十牛図で言えば、利他シフトが完了していない限り、入鄽垂手に至ることはない。
突き詰めれば、小乗と大乗に差はないと個人的には考えている。
また、優劣をつけるべきものでもないのだが、世界観の幅を広げられるだけ拡げてみたいと願う御仁は、ぜひ利他の道を歩んでみることをオススメする。