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飽きの哲学

  • 2021年11月2日
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名残の季節も間もなく終わりを迎える。

「飽き」を季節に例えるならば、冬のようなものだ。

収穫できるものがない。

好奇心の春。

熱中する夏。

こなれる秋。

飽きる冬。

冬が終われば春が来る。

「飽きる」とは?

人は物事に飽きる生き物だ。

野生動物が何かに飽きるということは多分なさそうだが、飼い猫に毎日同じ餌を出すと飽きる。

我が家の猫は、目が開いた時に見たのが人間だったからか、自分を人間と思っているきらいがあった。

それはさておき、人は基本的に全く初めてのことに対して飽きが訪れることはない。

飽きは、量的にtoo muchな感覚を表現する。

例えば、「もうたくさんだ」「十分だ」「うんざりする」といったものだ。

江戸時代から使われ始めた言葉だそうだが、豊かな社会の中でしか生じることのない感覚なのだろう。

インプットするにせよアウトプットするにせよ、もう新しい興奮や前向きな感情が湧いて来なくなった時、人はそのことに対して「飽きた」と感じる。

もうその感覚を味わいたくなくなるのだ。

陳腐なものを作っても創造とは言い難いし、表現しても満足感を得られない。

逆に、何らかの新しい感覚や感情を味わっている最中は、まだその物事に飽きていない。

飽きの感覚は、ひとつの物事を終えるべきタイミングを知らせる心のサインであり、人生において貴重な体験を積み重ね、あなたの歴史に厚みが増したことの証左でもある。

そして、見方を変えると、物事に飽きるということは、ひとつのことを完了して、未来に向けて歩みを進める意思決定をしたことに他ならない。

追体験という名の死

過去に味わった感情や感覚をもう一度体験したいと思うことは、死んでいるに等しい。

なぜならば、未来の時間を使って過去を体験するとしたら、未来としてやってくるのが過去ということになる。

つまり、言うなれば未来が来ないのだから、死んでいるのと変わらない。

そうだと見極めて、未来に進んでいくきっかけを与えてくれるのが「飽きた」という感覚である。

人は、「飽き」を通して、死を避けているのだ。

訪れる冬を歓迎し、春を待ち望むように。

飽きと自己愛

あらゆる物事に対して、積極的に飽きればいい。

飽きが訪れるまで真剣に物事に取り組み、今を真摯に生きることこそが、日々に全く新しい未来を迎え入れる。

そのように命の火を大切に灯す生き様は、創造者・表現者としての自らを愛する者の矜持ではないだろうか。

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