人は誰しも、自分が思っている程、強くもないし、賢くもないし、誠実でも、優しくもなく、偉くもなく、正しくもない。
また、自分が思っている以上に、欲張りで、うそつきで、うぬぼれ屋で、不親切で、ずるくて、臆病である。
人は自分以外のことや他人様のことには大いなる関心を持ち、よく分析し、かなり理解している反面、自分自身のこととなると正しく認識したり評価したりすることが出来ない。
自我はいとも簡単に、ずぼらを誠実に、横着を気まじめ、うそつきを正直者にすり替えてしまう。
また多くの人は、見た目と目先に惑わされてはスカを選択し、スカで永遠の幸福を得ようと悪戦苦闘する。
アタリはいつも自分の足元に転がっているのに、アタリがスカに見え、スカがアタリに見えてしまう。
自我がわざとスカを選択させていることに、いつまでたっても気がつかない。
本物の自分(真我)とニセ物の自分(自我)、皆さんはこのことを考えたことがあるだろうか。
この点日本の神道は偉いもので、神殿の前には必ず鏡(カガミ)が置いてあるのには深い意味がある。
このカガミは2つの意味を持っていて、鏡に写ったその人、そうあなたが神ですよと教えていて、これを自拝礼といい、あなたの真ん中に巣くうニセ物の自分すなわち我(ガ)を取り除けば、あなたはカミに戻りますよ、という意味も併せ持っている。
ウーンと考えさせられるが、あなたが自分だ自分だと思ってる存在は、親や兄弟、先生や友人、本で読んだTVでみたことやその他もろもろの誰かが言っていたことの中から、自分が気に入ったものを寄せ集めただけの記憶の集大成以外のなにものでもなく、ほんとうのあなたはハートの奥で、ニセ物のあなたの一挙手一挙動を、ただ静かに見守っているだけなのである。
古今東西、聖者・聖人といわれる人が気づいたことはこの一点であり、これに気づきほんとうの自分に戻ることができた人のことを、悟った人という。