「この世の終わり」とは、闇の時代の終焉のことである。
それはまた、光の時代の到来と同義である。
「コナゴナになる神殿」とは、人間が永年にわたり積み上げてきた、一見立派そうに見えるが、その中身は不完全で間違いだらけの知識・常識のことである。これがコナゴナに砕けるまで、数々のイベントが続くのである。
「どんな前兆があるのでしょう」前兆は、911以来もう始まっている。
「偽キリスト」とは、ホンモノとニセモノの区別が出来るかどうか、という高度な学びをなさりに地球にやってこられた方々の為に、天上界が特別に派遣された、その道のプロフェッショナルたちのことである。
その道とは、皆さんをまんまと罠に陥れることであり、引っ掛けることである。
引っ掛けは、魂のレベルに応じて、人間の浅知恵ではとてもじゃないが思いもつかないような段階まで用意されている。
そして、今また新しいタイプの高度な引っ掛けが始まろうとしている。
「数々の恐ろしい出来事」とは、人類を完全なる意識状態に戻すための、一種のショック療法である。
そしてそれはどれをとっても、短期間で人類の意識をクリアーにするための最善の方法である。
「偽預言者」とは、人類の近未来に横たわる、あらゆる可能性を公開・開示するための役割を担った方々のことである。
楽観論から悲観論まで、人類の意識を反映した幅だけ預言は多種多様であり、また玉石混合でもある。偽預言者は、地上に住む人間種族だけとは限らない。
「妊娠している女と、乳飲み子を抱えている母親は、本当に不幸だ」とは、そのようなハンディキャップを抱えて、人よりも多くの苦労を体験されてこられた方は、その時点で心清ければ、まっ先にピックアップされる可能性が高いということである。
「御国についての素晴らしい知らせ」とは、この広大なる宇宙が何故存在し、人類はこの地球に何をするために生まれてきたのか、また何を学ばなければならないのか、あらゆる問題と答えの両方が全て解き明かされる時代がやってくる、ということである。
また、キリストが父と呼ばれた存在が、永年の地球における未知なるものの探求を終えられ、もうまもなく本来のポジションである、天界の王座に戻られるであろう、という知らせでもある。
「神に選ばれた人々」とは、キリストが父と呼ばれた存在が、地球での探求の間、留守中のことを全てお任せになられた方々のことである。
すなわち、大天使さんや天使さんのことに他ならない。
聖書の中では、父の使用人とか召使いとか、いくつかの名称で呼ばれている。
「期間を短くする」とは、人類の完全なる意識への復帰が、なるべく短期間でスムーズにことが運ぶよう、大天使さんや天使さんが腐心されていることを指す。
「もし迫害の期間が短くされないなら、人類は一人残らず・・・・」とは、アセンションが順調に進展すれば、地上には人っ子一人いなくなるということである。
またこれは、アセンションを極力短期間に集中して成し遂げたい、という天上界の意向を表わしている。
だが、そうなるかどうかは、人類の意識の向上いかんにかかっている。
「ノアの時代」のたとえは、誰の目にもわかるようなビックイベントが発生してから気づいても、ポイントが極めて低い、ということである。
もし、それらが起こる前に気づけなかった方は、それ相応の再試験が続くことになる、ということをいっている。
「メシヤが荒野におられるぞ」とは、戦乱の続いた土地や、水没を免れた地域に光の子が現われ、人々に宇宙の叡智や、地球の本当の歴史、また愛の大切さなどを説き始めることを指している。
また日本の地名で、○○野と、うしろに野の字がつく地域は、他の地域より比較的安全であるということである。
「稲妻が東から西へひらめき渡るように」とは、この日本から真実の福音書が発せられ、これがあっという間に世界中の方々に知らされる、ということを指している。
「いちじくの葉が出てくれば、夏は間近です」とは、いつのことでしょう。
もしかすると・・・・。
「寝ずの番をしていれば」「日頃の備えが万全であれば」とは、毎日コツコツと愛の実践を行っている方は、これから始まるであろうことを何ら危惧する必要はない。
また、そのような方はまっ先にアセンションされるであろう、ということをいっている。
「天地は消える」とは、アセンションして地下へいかれる方は、地上とは別天地の素晴らしい環境が待っている、という意味である。
「御使いばかりか、神の子さえも知らない。ただ父だけがご存知である」の御使いとは、留守を預かる大天使さんと天使さんのことである。
また神の子とは、キリスト意識を有するもの、すなわち光の子のことである。
そして、父とは、創造主のことを指す。
「いつ来られてもよいように準備しなさい」準備とは、日頃の愛の実践と常に心を平静に保っていることが9割であり、その他が1割である。
「忠実な召使い」とは、光の子のことである。
もしかすると、あなた・・・・。
出典:リビングバイブル(新約)いのちのことば社
今から2400年前、お釈迦様は次のような言葉を残されました。
「多くの人が信じているから、伝統があるから、格式があるから、権威があるから、聖人や賢人が言ったから、教典に書いてあるからといって物事を信じてはならない。自分の理性と意識によって確認され、心から信ずることができたことだけを、自身の信念とし、これに基づいて行動せよ」と。
詳しくは、この“D語録”の“2.真理はいつもマイノリティー”をご覧下さい。
また昔から、こういった言い伝えがあります。
「知る者は語らず、語る者は知らず」
そうです、ほんとうに悟った方というのは、この世で繰り広げられている壮大なゲームの内容を公表することを、天上界より厳しく制限されてきたのでした。
そして時代はうつり、今、この制限は・・・・。