「7つの教会のたとえ話」は、自分ではキリストの教えに基づいてちゃんとやっているつもりでも、時間の経過とともに、人間は皆自分の都合に合わせて、どこかしら曲解し、いつの間にか間違った方向に進んでしまうから、常に気をつけなさい、ということを暗示している。
実際、キリストの死後、何回かの公会議において、キリストの教えはかなり修正されたり、改ざんされたりもした。
またそれ以後も、組織間の利害を巡って、同じキリストの教えを継承するもの同士が対立したり、時には流血を伴う抗争に及ぶこともしばしばあった。
キリストの教えを標榜するもの同士が、骨肉の争いをするのを見て、天上界におられたキリストは、いかような思いでご覧になっていたのであろうか。
そして、それは今も続いている。
「24人の長老」とは、24人の大天使さんのことである。
大天使さんは、地上でのゲームに直接参加される体験組の12人と、天上界で留守番をされながらゲームに参加される後方支援組の12人とに分かれている。
「神の7つの霊」とは、4つのL、Life・Love・Law・Light、すなわち生命・愛・叡智・光に、3つのP、Power・Pleasure・Peace、すなわち力・喜び・平安(平和)の3つを加えた7つである。
「4つの生物」とは、人類が構築した4種類の宗教・思想・文化圏をあらわしている。
4種類の価値観を共有する集合意識と考えてもらっても同じである。
ライオンとは、獅子のことであり、中国・モンゴル・チベットの仏教系、東アジア文化圏のことである。
鷲とは、白頭鷲を国鳥とするアメリカのことであり、今世界中を席巻しているアメリカンスタンダード、拝金・物質至上主義のことである。
雄牛とは、直接的にはバビロニアの牛の精霊のことであるが、古代エジプト・オリエント全域で永らく崇拝されてきた半獣半人像のことをさす。
ヒンズー教・イスラム教系、南西アジアと北アフリカ文化圏のことである。
人間の顔のようなものとは、人の子すなわちキリストのことであり、装飾のない人間が偶像崇拝されていることをさしている。
キリスト教・ユダヤ教系、ヨーロッパ文化圏のことである。
「4つの生物が持つ6つの翼」とは、前出の神の7つの属性から、必ずどれかが一つ欠落したもの、すなわち7ひく1が6であり、これはとりもなおさず4種類の文化圏(4種類の集合意識)が、みな不完全である、ということである。
「王座のまわりは、きらきらとひかる水晶のような海」とは、四方を海に囲まれた美しい国、日本のことである。
王座は、今この日本に存在する。
日本にはなぜか、前出の4つの文化がいつの間にか定着し、それでいて他が他を排斥することもなく、日本の風土にみな穏やかに同化している。
中華もイタメシもカレーもハンバーガーも、みんないつの間にかあるのが当たり前になっている、今の日本の食生活の現状とよく似ている。
「小羊」とは、イエス・キリストのことである。
この地球上で大いなる奇跡を行うことが出来るのは、創造主と、創造主に裁可を戴いた特別の方だけである。
イエス・キリストは、そうした方の一人であった。
「巻物」とは、神の経綸、神の計画書のことである。
「巻物の表と裏に文字があり」とは、表には現象界で起こる可能性のあるものすべて、裏にはその現象面を通して、人類が何を霊的に学ぶのかが記載されている。
「第1の封印と白い馬」とは、セルジュークとオスマン・トルコに代表されるイスラム教徒が、イスラミックスタンダードを拡大した時代のことをさす。
白は、砂漠の民が太陽光を反射するために常用する白系の衣装や、白馬を吉兆とする彼らの習慣を表象している。
封印とは、ある特徴をもった形態やシステムが、ある期間続いて、一時代を形成していることをいっている。
従って、封印はある時期重複し、特に現在はいくつもの封印が重複している。
また、なぜ馬が使われているのかといえば、馬が力や権力あるいは勢力拡大のシンボルであった時代が、長らく続いたからである。
「第2の封印と赤い馬」とは、中国やモンゴル騎馬民族のチャイニーズスタンダードが拡大した時代のことをさす。
赤は、現在の中国の国旗とか、中国人が赤をおめでたい色として尊ぶことを表象している。
そして今再び、モデルチェンジしたチャイニーズスタンダードが、拡大の時代を迎えつつある。
「第3の封印と黒い馬」とは、植民地政策や産業革命で経済活動が活発化し、ヨーロピアンスタンダードが世界中に拡がった時代のことをさす。
黒は、魔女狩り・宗教裁判等の宗教の暗黒時代、また黒死病、それと影の世界政府の本部が長らくヨーロッパにあったことを表象している。
あったとは、彼らが今、華麗なる変身をとげつつあるからである。
「第4の封印と青ざめた馬」とは、アメリカの経済力や軍事力が世界中を席巻している現代のことであり、青ざめたとは、ジーンズの青と、アメリカ国家の末期には国民が青ざめるようなことが起こることを暗示している。
伝染病の記述は、ある集団と企業が一種の伝染病を人工的に造り出し、それにより巨額の利益を得ていることをさしている。
「第5の封印」とは、ルネッサンス以降、宗教や政治など、世の中の不正や悪事に敢然と立ち向かい、それにより迫害を受けたり殺されたりした方、また戦争等により、罪のない多くの方々が亡くなられたことをさしている。
今も継続中である。
「第6の封印」とは、第一次・第二次世界大戦の戦禍、そして原爆、この間に幾度となく起こった大地震や異常気象、またフアチマの奇跡、世界各地でのマリアの出現、日食・月食・流星群などの異常現象をさしている。
そして、1980年代の急速な人類の意識向上に伴い、いくつかのイベントは先送りされたり、キャンセルされたりした。
先送りされた分は、もうすぐ現象化する。
「第7の封印」とは、今の時代のことであり、1995年に起きた阪神淡路大震災の時点で、封印はすでに解かれている。
神戸がグラッときた段階で、文字どうり神に至る最後の扉、すなわち神の戸は開かれたのである。
1990年代後半からの人類の意識の向上により、諸々のイベントは順次先送りされ、また一部はキャンセルされたりして、現在に至っている。
「イスラエルの12部族」とは、12人の大天使さんとそのファミリーのことであり、その当時、かの地には12人の大天使さんが揃って転生していたことがあったのである。
そして、ここに列記された部族の末裔が、神によって選ばれた人達である、ということではなく、地球のいたるところに今も彼らが転生していて、人類の意識の向上に貢献している、ということを暗に示している。
彼らは、神による“見えざる手”の重要な一翼を担っているのである。
「144000人」とは、144人のアセンデットマスターと、彼らにつながる者たちを表象している数字であって、実際に神の刻印を受ける者は、これよりもかなり多い数になろう。
「半時間ほどの静けさ」とは、1996年から2000年までの間、終末論・世紀末論などで人類がアレコレ騒いでいるうちは、何らそれらしき事をワザと起こさないことによって、人類に神の経綸をさとられるのを避け、あわせて人心が落ち着くのを図ったのである。
「7つのラッパ」とは、第1から第4のラッパが、人類がこれまで地球をさんざん破壊してきたありさまを詳細に述べており、人類が地球に対して行った悪いカルマの一部が、ストレートに現象化していることをいっている。
そして、第5から第7のラッパは、これとは別に、現象化をさし止めていた分が別勘定で存在していて、これがまもなく表面化し、様々な現象となって現われてくる、ということをいっている。
人類による地球への永年の仕打ちのうちの未顕現分が、利息がシッカリついて人類にバッチリ返ってくるのである。
ラッパは、誰かが鳴らしているのではなく、実は人類のカルマ(行為)の蓄積が鳴らしているのである。
あたかも第3者が鳴らしているかのように表現することによって、人類のカルマが歴史を正確に刻んでいるということをボヤかし、人類にちょっとやそっとでは気づきを与えないような言い廻しがなされている。
「第1~第4のラッパ」とは、人類が化学薬品を多用し、木や化石燃料を大量に燃焼させ、また大量のゴミによって川や海、森や大地をことごとく汚染しつくしてしまったことをいっている。
また、スモッグによって太陽は薄暗く、夜間の電灯によって星もあまり見えなくなった、ということである。
「第5のラッパ」とは、風や嵐のことであり、広義では地球の天候モードが大きく変わるということをさす。
底なしとは、風はとどまるところを知らないぐらいの猛烈さとなるかも知れない、ということである。
「第6のラッパ」とは、プレート移動のことであり、世界レベルでの大規模地殻変動といってもよい。
もしかすると、大陸移動レベルまで発展する可能性もある。
これに伴い、世界中で一斉に地震が発生し、火山活動が本格化するのである。
そして、4人の悪霊とは、地震、飢餓、疫病、死の恐怖、の4つである。
どれをとっても、人類が地球に対し行ってきたカルマの返しに他ならない。
「神様の特別な計画」とは、人類の意識の向上が予定どうり進まない場合の特別なオプションのことである。
わかっているものを二三列挙すれば、卒業レベルに到達したものだけをアセンションさせて地上から消滅させ、これに伴って地上の現実の更改を行うオプション、あるいは、UFOによる空中携挙を実施するオプション、フォトンとか重力波等、外部からの巨大なエネルギー波によって人類の意識を向上させるオプション、その他およそ人間の想像のつかないようなものまで、一体全体いくつあるのか不明だが、知らない方が幸せかも。
「神様の神殿と祭壇のある内庭を測る」とは、神の子である人類ひとりひとりの霊性のデータ、すなわち過去世の分と今世の分とをトータルして、アセンションの可否を決定する判断材料にする、ということである。
例えばの話、キャリアが充分でない若い魂は、プラス100ポイントでも可であり、逆に古ーい魂の場合、プラス100万ポイントでも否の場合があるのである。
「聖なる都を踏みにじる外国人」とは、皆さんを混乱させるために、天上界から派遣されたその道のプロフェッショナル達のことである。
「2人の証人」とは、この世に、ホンモノの宇宙の真理を語るものを2人派遣する、ということをいっている。
そのうちのおひとりは、南インドの聖者、アマチさんである。
もうおひとりは、彼女とは好対照のキャリアと気質をおもちの方で、徹底的に制限された意識状態のもと、いかに最善を模索できるのか、というユニークなゲームを今もなさっているそうである・・・・・。
そしてこの2人の証人とは、彼らのファミリーである12人の大天使さんのことでもある。
彼らは世界中で預言を行うのであるが、一部の地域では歓迎され、また一部の地域では預言が当たりすぎるがゆえに忌み嫌われ迫害を受けることになる、ということをいっている。
出典:リビングバイブル(新約)いのちのことば社
難解といわれるヨハネの黙示録だが、そのわからないところに魅了され、ハマってしまった多くの方々のお仲間のひとりに、いつしか自分が加わるようになってしまったのは、まさに運命のイタズラなのであろう。
そして皆さんもまた、運命のイタズラによって、今これをご覧になっておられる。ラッキーなのか、ご愁傷様なのか、どっちになるのだろうか。
「預言」とは、近未来に横たわっている可能性のことである。
そして人は皆、その可能性を多少なりとも認識した上で、何かを選択するテストに今取り組んでいる。
言い方を変えれば、13000年の時を越え、皆さんは再び運命の選択をしているのである・・・・・。