人は皆、不完全である。
不完全ということは、良い面と悪い面、長所と短所、陰と陽、明と暗、光と闇、の両方を兼備しているということである。
もっと詳しく言えば、どんな人でもウソつきであり、かつ正直者である。
働き者であり、怠け者である。
時には正しくもあり、時には間違っているのである。
明るい時もあり、暗い時もある。
落ち込んで臆病な時もあれば、勇者のように勇敢な時もある。
哲学者のように理路整然と論理的な時もあれば、感情のおもむくまま浪花節を地でゆくような時もある。
賢い時もあれば、愚かな時もある。
誠実な時もあれば、ズルイ時もある。
やさしい時もあれば、ツッケンドンな時もある。
謙虚な時もあれば、ワガママな時もある。
プッツンする時もあれば、冷静な時もある。
ほとけ様のような時もあれば、オニのような時もある。
人間社会とは、皆不完全なる者たちの集合体に他ならない。
一見立派そうに見える方が、実はその裏で何をやっているのかわからないのがこの世の常であり、逆に、一見頼りなくみすぼらしそうに見える方が、その実スゴイ方も多いのである。
あなたはその人の何を見て、その人を判断しているのだろうか。
そして、そのあなたの判断ははたして正しいのだろうか。
たまたま良い面を見た時、その人は善人と写り、時たま悪い面を見た時、その人は悪人と写っているのではないだろうか。
また人は、時の経過とともに変わるのである。
悪くなる方もいれば、良くなる方も多いのである。
人はなかなか変われないが、時が来れば一気に変わる人も多いのである。
この期に及んでも、まだイッパシの裁判官ぶったり、ロクでもない評論家のまねごとをし続けることが、あなたには必要なのだろうか。
愛するということは、判断しないことである。
誰も裁かないことである。
神は一見善人そうな方でも、一見悪人そうな方でも、みんな愛しておられる。
だから愛とは、良い部分も、悪い部分も、みんなひっくるめてその人を愛するということである。
愛には、垣根もなけりゃ国境もない。
民族もなけりゃ主義主張もない。
ただ、愛は愛である。
あなたがクダらない判断をし、誰かを裁き続ける限り、あなたのポイントは減り続け、ついには予約しておいたバスの座席は多分キャンセルされることになるだろう。
今、あなたがしなければならないことは、意味のない雑学に興じ、他人を裁いては時を無為に過ごすことか、それとも素直にまた謙虚に愛を実践することか、どっちだろう・・・・・。