“何で私だけが、こんな目にあわなければならないんですか”
“何で私だけが”
相談に見える方の主張の中心は、いつも同じだ。
しょっぱなから、“あなただからそうなったんで、他の人ならそうならなかったんですよ”と言ってしまったら話がそれっきりとなってしまうので、グッとこらえて聞き役に徹するが、気づいて頂きたいのはこの一点につきる。
たとえ心の底からそう思ってなくても、自らの責任について一言でも言及される方はまだかわいい方で、いつも悪いのは社会であり、周囲の人であり、自分は加害者でなく被害者であり、悲劇のヒーロー、ヒロインを演じたがる人の、なんと多いことか。
人間はしなくてもよいようなことばかりし、しなければならないことをなおざりにする。
自らは愛を求める一方で、他に対しては愛のない行いを繰り返す。
時たま募金箱に千円入れては、十万円寄付したぐらいの自己満足を感じ、他人様の無私の行為には、これを十分の一に減額修正したり、時には何か裏があるのではないかと勘ぐってしまったりもする。
はっきり言ってどうしようもないが、これが人間という生き物の実体である。
“何で私だけが、こんな目にあうのか”答は簡単。
しなければならなかったこと、すなわち愛に基づいた行い、引くことの、しなくてもよかったこと、すなわち愛と反対の行いの合計がマイナスとなっている人が「こんな目」によくあうのである。
前世までの勘定(もちろんマイナスだが)と今世での勘定の合計がプラスに転じた人だけが、地球レベルでの輪廻転生を卒業することになる。
ほとんどの人は、自らが多くの魂の借金を抱えていることすら知らないし、百万円の借金を十万円返したぐらいで全部返したと錯覚している。踏み倒そうと思っている人、まさかいないとは思うけど、やめときなさい。それこそ借金地獄に落ちるのがオチですよ。
下をながめては、自分は気づいたのではないかと思ってしまう方、残債がまだ9割も残っているかもしれないことを、どーぞお忘れなく。