この地球で、自己愛と他者愛が論議され始めて一体どれだけの時間が経過したのだろう。
にもかかわらず、こうした書生論議に人類は今もなお終止符が打てないでいる。
結論から先に言ってしまうと、人間がこの地球で生きて行くためには、自己愛と他者愛の両方が必要であり、要はその比率をいかに後者の方に傾斜させ、かつまた愛全体をいかに大きくするかが、人間に課せられた共通の課題である。
人間は誰しも、自己愛と他者愛の比率が大体70:30でスタートするようプログラムされており、生きている間に、他者愛を実践することによって、いかにこの比率を30:70に近づけることが出来るかどうかに挑戦している。
具体的に数字をあげて説明すると、自己愛と他者愛の比率が50:50になる頃には、みんなからやさしいねと言われるようになるだろうし、40:60になる頃には、周囲から慕われ、30:70になる頃には、多くの方から尊敬されるようになっていることだろう。
自己愛と他者愛の比率が30:70、それは大多数の方にとって、人生の通信簿がほぼ100点満点となる比率である。
参考までに、良い方と悪い方の両極を紹介しておくと、どんな極悪非道の悪党といわれる方でも「人みな仏心あり」の如く、1割の他者愛を持っているし、逆にどんな立派な聖人であろうが、例えばアンマの場合でも、1割の自己愛を持っている。
聖人と言われるような方でも、自己愛を持っているとは信じられないかも知れないが、人間として生きている間、自己愛を完全に無くしてしまうことは不可能である。
何故なら、自己愛が無くなってしまうと、世の中の色んなものに対して興味や好奇心が失せてしまい、生きる気力を喪失してしまうからである。
それでは、自己愛と他者愛の比率を30:70にするためにどう生きれば良いかだが、自己愛は当面ほったらかしにして、他者愛を拡大させることに一意専念するのが良い。
これにより、自己愛の比率が低下し他者愛の比率が向上してゆくのと並行して、愛全体のキャパが大きくなる。
まさに一石二鳥である。
多くの方がよくこの逆をやるが、労多くして功少ない結果で終わる。
他者愛を拡大させるには、まず出来ることを徹底して習慣づけ、習慣づけたら次に出来ないことにも挑戦してゆくのがコツである。
習慣づけるということがキーポイントであり、習慣はまさしく第二の天性である。
出来ることばかりを繰り返しても、霊的成長という観点からは停滞もしくは後退であり、出来ないことにも積極的に挑戦してゆかなければならない。
出来ないと思うのは、エゴがただ単にそう思い込ませているに過ぎず、やろうと決心さえすればエゴが作り出した幻影は消滅し、大抵のことは成し遂げられる。
キリストの、「サタンよ後へ下がれ」とは、まさにこのことを言う。
人間の本質生命体は意識エネルギーである。
出来ないと思えばそうなるし、出来ると思い続ければいつかは現実化する。
そこには、少々時間がかかる、という単純な引っ掛けがただあるだけである。
アセンションとは簡単に言うと、愛だけの世界に次元上昇することである。
であるから、愛を実践しかつまた真剣に愛を追い求めている方は愛だけの世界に次元上昇するが、愛以外の違うものを求めている方は必然的に今の次元に居残る。
何のことはない、人類ひとり残らず自分で自分の行き先を選択しているのである。
私がこれまで耳にたこが出来るほど繰り返し愛の実践を申し上げてきたわけは、愛の実践をとおして皆さんに愛の大切さを思い出してもらい、もって愛だけの世界にきちんと帰還して頂きたいがためであった。
もし何か感じるものがおありなら、今からでも行動を起こして頂きたい。
それが今も昔も変わらぬ私の願いである。