ラムサ、すなわち大天使カフィエルのことだが、彼が口述した「ラムサ.真.聖なる預言」という本に天使のことが少し書かれている。
ずっと以前にサッと読んだだけなのでウロ覚えだが、大体の要旨を紹介すると、人間から見れば「天使はいいな」と思うかも知れないが、天使といっても別に大したことはない、むしろ地球で沢山の経験を積んだ人間の方がよっぽど素晴らしい、といった内容だったと思う。
世の中には、守護神様・守護霊様などといって、自分のハイアーセルフ(その中には天使属も含まれる)を崇拝する奇妙な風習が定着しているが、彼らの実体は単なる旅のガイドであり、彼らを崇拝する必要など本来どこにもない。
天使はもちろんのこと、神すらも自らを崇拝して欲しい、などとはひとつも思っておられない。
宗教家が作り上げた崇拝という思想そのものが、神を曲解し、かつまた様々な悪の根本をなしていることを、人々はそろそろ知るべきである。
釈迦を一例にあげれば、守護神・守護霊を崇拝しなさい、などとは一言も言っておらず、ただそういったサポートをしてくれる存在がいるから感謝しなさい、と言っただけである。
他の宗教も同様、事後関係者がアレコレと捏造してきたのである。
人間は皆、生まれてくる前に必ずこうしたガイドと打ち合わせをし、人生の急所急所でサポートを受けられるように、綿密な契約を結んでから地上に転生してきている。
彼らのサポートがないと、この地球ではなかなか上手には生きてゆけないし、また容易に気づけない。
であるから、彼らに頼らざるを得ない側面があることは事実である。
がしかし、自分とハイアーセルフは体験を共有する運命共同体であり、元々はひとつの意識エネルギー体である。
だから、両者はいついかなる時も対等であリ不可分である。
今はたまたまみなさんが下で彼らが上だが、上と下の位置関係が逆になることもしばしばある。
そして本来なら、今は上にいる彼らこそ、自分の代わりに地球で大変な思いをして体験を続けてくれている人間に対して、感謝し敬意を表すべきである。
であるから、自分にとって良いことがあれば素直に「ありがとう」と感謝し、悪いことが続けば「少しは手加減したら」とスゴムぐらいで丁度よい。
聖書の「求めよ、さらば与えられん」「叩けよ、さらば開かれん」とは、どうしたらよいか迷った時には、自分のガイドに対して何かしらのヒントを求めなさい、積極的に求めないとヒントは来ないし、前向きでないと仮にヒントが来てもそれがそうだとわかりませんよ、という意味である。
何事にも消極的な人は損をする、ということである。
そして、魂の成長の糧となる体験のチャンスをこの地球で与えてもらっていることを、神に感謝することが大切である。
何故なら、地球で体験したくても出来ない魂がものすごい数いるからである。