前略
みなさま 不況が長引いているせいか、最近色んな方のご意見を伺っていると、以前のバブルの時とはまた違った意味あいで「この世は、お金が支配する世界である」といったことを、切実に感じておられる方が増えてきている印象を受けます。
なるほど、デフレ・スパイラルにより収入が減少した方たちが多い昨今、そういう方たちからしてみれば、そう感じられるのも当然なのかな、と思ったりもします。
ですが、それでは本当に「この世は、お金が支配する世界」なのでしょうか。
皆さんはいかが思われますか。
結論を急ぐ前に、ここでひとつ架空の設問を想定して、お金に関して、もう一度原点から考えて見たいと思います。
もし仮にアマゾンの奥地かどこかに、お金を全く知らない原住民がいたとして、彼らに一万円の札束をプレゼントしたら、彼らは一体どういった反応をするでしょう。
1.印刷された福沢諭吉を見て、生きているかどうかに興味を示す。
2.まん中の透かしを見て、悪霊がいると騒ぎ出す。
3.子供のおもちゃにする。
4.火をつけたらすぐに燃えるので、かまどの焚き付けにする。
5.山羊のえさにする。
等々、考え出したらキリがありませんが、多分お札をお金として使わない、ということだけは確かだと思われます。
実はこの辺に、お金というものを原点から考え直すための、有力なヒントが隠されているのです。
どういうことかというと、第一に、大昔はみんなそうだったように、人は本来お金がなくても生活してゆくことが出来るということ、第二に、もしお金がなければ、お金に対してサラサラ興味など湧かないが、現代人はお金があるがゆえに、心の相当な部分をお金によって占領されているということ、第三に、お金が持つ隠れた魔力によって人は様々な欲を煽られ、昔と較べてかなり欲深くなっているということ、第四に、お金によって世の中は確かに便利になったが、一方では煩雑で束縛が多く競争の激しい社会になったということ、などが連想出来るかと思います。
そうして、こうしたことから導き出されることは、「この世は、お金が支配する世界」というよりも、「この世は、お金が人間の心を支配する世界」と言い変えたほうが、より正確だということです。
そして、この辺で正解を申し述べるなら、お金は、どこかの誰かさんによって人為的に導入されたものであり、人間はあたかもお金がこの世を支配しているかのように永年思い込まされてきた、ということなのです。
それでは、どこかの誰かさんが、一体全体何の目的で、お金という小道具をこの世に導入する必要性があったのかと言えば、お金を大量に流通させることにより、持てる者と持たざる者、支配する者と支配される者、といった社会的不平等を増進させて世の中の混乱を煽り、地球でのゲームをより難しいものにして皆さんの覚醒を遅らせたかった、ということなのです。
もう少し詳しく言うと、お金を使って盛んに人間の欲を煽り、様々な差別や不平等、不自由や束縛を増進させて、圧政や暴虐や戦争などのありとあらゆる混沌とした状況を人為的に創り出し、これによって人間が容易に本当の自分を思い出せないように、また本来人間がやるべきことに気づけないように仕向けてきたのです。
加えて、お金さえあれば、いかにもありとあらゆる願望がかなえられるかのような錯覚を起こさせ、お金を必死になって追い求めさせることによって、人間が本来見据えていかなければならない視点を大きく逸らしてきた、ということなのです。
手っ取り早く言うと、お金によって地球でのゲームの難易度を上げ、皆さんの合格率を限りなく押し下げてきた、ということです。
皆さんが大好きなお金は、実のところ、皆さんを落第させるための最も有力な小道具だったわけです。
大勢の方が、そうしたカラクリがあるとはツユ知らず、明けても暮れてもお金を追い求めて頑張ってこられたわけです。
ですが、そうした努力とは裏腹に、お金はものの見事に皆さんを落第させてきたのでした。
それでは、そうした実情を踏まえ、お金に対してどう対応していったら良いかですが、二人の模範解答者の例を引き合いに出しますので、よろしければ参考にして下さい。
まず最初に取上げるのは、かつてアメリカの「鉄鋼王」といわれたアンドリュー・カーネギーです。
彼はその当時、世界で指折りの大金持ちでしたが、亡くなった時に、家族にも充分なお金を残さなかったくらい、稼いだ金の9割以上を社会事業のために寄贈しました。
彼は、お金に関する数々の名言や教訓を残しましたが、極めつけは「事業家たるものが、金持ちのまま死ぬようでは最大の恥である」というものでした。
彼は、お金がうなるほどありながらも、お金の魔力に決して縛られることのなかった典型的な篤志家でした。
大金持ちというジャンルの中で、彼ほどお金に淡々とした方は後にも先にもいなかった、といっても過言ではないでしょう。
「稼いだお金は可能な限り、人々の福祉のために社会に還元すべきである」といった、それはそれは見事としか言いようのない、全人類のお手本となるような金銭感覚を持っていました。
そして、もう一人ご紹介したいのがマザー・テレサです。
彼女は生涯シスターでしたから、お金を稼ぐということとは全く縁がなく、何となく奇妙に思われるかもしれませんが、彼女の生活スタイルには、彼女独特の信念ともいえる金銭感覚が色濃くにじみ出ており、大いに学ばさせられるものがあります。
一例をあげれば、アメリカに支部を開設した際、すでに敷きつめられていた絨毯を全部引っぺがし、余分な家具やエアコンはすべて取っ払い、洗濯機さえおかなかったという有名な逸話がありますが、一事が万事で、彼女のシンプル極まりない生活スタイルは、大して使いもしない不要な物に山ほど囲まれて生活している私たちにとって、大きな教訓を遺しました。
彼女は、欲しいものは買わずに最低限必要なものだけを買い、そうやって捻出されたお金を、困っている方々のために全て振り向けたのです。
自らの持ち物といえば、聖書とわずかな身の回りのものだけだった彼女は、カーネギー同様、素晴らしい金銭感覚を持っていました。
以上、お金があった方となかった方の好対照のお二方の事例を紹介しましたが、だからといって、私は何もお二方のようにされたほうがいいですよ、と申し上げているわけではありませんから、その点誤解しないで下さい。
ただ私は、お金というものが、どういったカラクリのもとにこの世の中に存在し、また皆さんがその隠された魔力にいかに毒されているかを、今一度自覚して頂きたい、と思っているだけなのです。
お金というものの実態は、ただの紙切れであり、また本来は中性であって、持っていて邪魔になる、といった類のものではありません。
そして、お金は無い状態が長々と続くよりも、あった方が良いに決まっています。
問題は、お金があるにしろ無いにしろ、大半の方が過度にお金に心を奪われてしまっている、という現実にこそあるのです。
まあ、私がいかに声を大にしても、お金の呪縛力は並大抵のものではありませんから、多分わからない方は、最後までわからないと思います。
ですから、これ以上申し上げることも別段無いのですが、皆さんがあの世に還られた時、お金に関して訊ねられることは 「あなたは、人様のために、どれだけお金を役立てられましたか」 ただそれだけだ、ということを最後に申し添えておきます。
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