前略 みなさま
もし私が、とうの昔に超能力を復活し、キリストの如く神のように振る舞い、数々の物質化や奇跡的な治療を行っていたとしたら、皆さんは今よりも数段神に傾倒され、その結果覚醒への道を、競うようにして一直線に歩んでおられたことでしょう。
ですが、もし仮にそうして皆さんのうちの何人かが覚醒に至ったとしても、そのことに一体どんな意義があるのかといえば、甚だ疑問です。
もしかしたら、そのような覚醒は、あまり値打ちの無いものかも知れません。
何故なら、一般の方はそうした恩恵が全くない状態で、同じように覚醒に挑戦されているわけですから、それではまるで、カンニングして試験に合格したようなものと、言えなくは無いからです。
それよりも、私が未だ海のものとも山のものとも判然としない不確定な状況のもと、皆さんが迷われ、右往左往しながらも少しずつ覚醒の道を歩んでおられるところに、今回のゲームの意義があるのではないでしょうか。
また、そういったシナリオであるからこそ、いつまで経っても、またいくら頑張っても、私も皆さんもなかなか超能力が復活しないのではないでしょうか。
そして、こうしたことに追い討ちをかけるが如く、大天使カフィエルはウソばかりついて、私と皆さんを揺さぶってきたのではないかと思うのです。
もしかすると、私と皆さんが今取り組んでいるゲームは、なかなかどうして、かなり難易度の高いゲームなのかも知れません。
そうした詳細については、上に戻ってからでないとよくわかりませんが、色んな状況を総合的に勘案すると、どうもそうである可能性が高いのです。
そして、もしそうだとすれば、難しければ難しいほどやりがいがあり、またそれを達成した時の喜びも大きいはずですから「よーし絶対やってやる」ぐらいの根性を、今からでも出して頂きたいところなのです。
また、ゲームの内容がいかに難しいものであろうとも、やるべきことは同じであり、難しいからやることが違う、などということは全くありませんから、不安に思う必要は何も無いのです。
ただ、通常よりもいくらか根気が要るので、この点だけは注意しなければなりません。
それでは、どれだけ根気が要るのかといえば、今日一日だけ気を抜かないことです。とても簡単です。
何故今日一日だけなのかといえば、皆さんが生きることが出来るのは今、すなわち今日だけだからです。
どなた様に限らず、一日前に生きることも、一日先に生きることも出来ません。
生きることが出来るのは、今日だけです。
今日一日が過ぎ去っていったものが積もり積もって、振り返ると一ヶ月とか、一年となっているだけのことです。
今日一日出来たら、明日もまた出来るはずです。
今日出来たものが、明日は出来ない、などということがあるわけが無いのです。
すべては、今日一日に集約されているのです。
今日一日を何とかしてエゴに挫けることなく、コツコツと愛を実践することです。
また、どうして気を抜いてはいけないのかといえば、皆さんが気を抜いても、エゴは一日たりとも気を抜いてくれないからです。
皆さんが気を抜いた途端、エゴにすかさずスコンとやられてしまいます。
例えれば、一発でスゴロクのフリダシに戻されてしまうのと同じ原理です。
繰り返しますが、大事なのは今日一日気を抜かないことです。
意志の力はそうやって後天的に涵養してゆくものであり、誰とても、生まれながらに備わっているものではありません。
意志の力が涵養されるまで、一日たりとも気を抜かないことです。
マラソンと同じです。
何があろうとも最後まで気を抜かずに走り続けることです。
でもマラソンと違って、もし途中で疲れたら、歩いても良いのです。
歩いてでも良いから、とにかくゴールを目指して一歩でも前進することです。
どんな方でも、今日一日なら頑張れるはずです。
古今東西、偉業を達成した人は、みなそうやってきたのです。
なにか特別のことをしてきたわけではありません。
先日ご紹介した元魚屋さんの物語は、そうしたよいお手本です。
彼は、結果として千日回峰を達成しましたが、やっていたことは、今日一日エゴに負けないように毎日頑張っていただけです。(「われ、かく荒行せり」 山田龍真著 現代書林)
彼の偉いところは、自分がなすべきことが、今日一日気を抜かずにエゴと戦うことである、ということを良くわきまえていた点です。
また彼は、自分の弱さや愚かさを良く熟知していました。
そして、今日一日を生涯最後の日と思いながら毎日頑張り、その結果、千日回峰という偉業を達成したのです。
中国の故事に、冗談だといって一日に千里を走る馬は、実際に千里を走る力のある馬である、というのがあります。
気まぐれや偶然で千日回峰を達成することなど、出来るものではありません。
また、単なる功名心からでは、十中八九失敗していたことでしょう。
彼は、千日回峰を達成することができる強固な意志を毎日涵養し、かつまた必要なことをよくわきまえていました。
彼の著作を読む限りは、何ら大仰なことも無く、またごくありきたりの平易な文章で、偉業がかすんで見えるかもしれませんが、彼からは、いくつも学ぶべき点があります。
よろしければ、ご自分と比較されて、是非参考になさって下さい。
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