D1 竹内文書 2005.10
竹内文書には、昔、現在の富山市の神通川のほとりにある神明・五福・金屋・地区に神の館があり、神は隣の呉羽(羽とは古代の飛行場のこと)にある飛行場から、天の浮船に乗って、世界中の五色人を定期的に視察・監督していた、とあるが、私は、その近所で生まれた。 最近、なんか変だなと思い確かめたら、私の生い立ちから始まって、なんでんかんでん、じぇーんぶ洒落だらけであった。どうやら、あの世でも洒落が流行っているようである。でも、エロヒムの洒落は、今ひとつキレがなく、なんとなくダサい。
D2 サシの勝負 2005.10
トリのウワサによると、このHPを理解された方が、ついに10人を超えたそうだ。もし、それが本当だとすると、私は、大天使メタトロンとの信者獲得競争に勝ったことになる。何故なら、彼は14年かかって、しかも実名を明かして、たったの3人だったのに対し、私は無名で、かつまた膨大なハンデを背負ったまま、わずか3年で10人の信者を獲得したからである。アッハッハッハッハ、とりあえずは、まず一勝。 あと、大天使ミカエルと大天使ガブリエルらの悪玉連合とのサシの勝負が残っているが、最近少し調子が出てきたので、なんとなく、いい勝負になってきた感じである。もうちょいかな。今回は、アンマの○○倍のハンデだったが、少しばかり多かったかもしれない。あー、しんど。
D3 九州ひとりごと 2005.10
九州の皆さん、こんにちは、やっとかめ、あれ違った、おひさしぶりですたい。九州は、ほーんによかとこね。これから色々あるかもしれんばってんがくさ、ずーっとそこにおったらよかけんね。阿蘇も、霧島も、櫻島も、みんなおおごつばってんがくさ、そればってん、そこがよかと。あーたくさ、ちーんかこつで、うろちょろしよったら、はじき飛ばされるけん、どーんと構えちょらんね。
D4 流行なのかな 2005.10
アセンションを意図すれば、アセンションできると思っておられる方がおられるようだが、そうした方は多分、イト厳しい現実に直面するだろう。もし、アセンションをしたかったら、聖書を繰り返し読むことである。どうしたらよいか、色んな例えで具体的に書いてある。 読めばすぐわかるが、そこら中に、善行しなさいと書いてある。聖書は、アセンションのための完全ガイドブックである。善行を積み重ねることによってのみ、アセンションの可能性が出てくる。その他はみな補助的なものに過ぎない。
D5 C会について 2005.10
クリムゾンサークルは、霊的学年で言うと、ちょうど中学程度の方々を対象とした、霊的無知を解消するための真面目なお勉強会である。中学と言っても、霊的学年の中学は、相当なレベルである。会社で言うと、大企業の部長クラスに相当し、一番脂の乗ったミドル層である。 だから、それ以下の学年の方にとっては少々難しいかもしれないし、無理してかじると、虻蜂取らずになる可能性がある。先日聞いたところによると、案の定、多くの方が消化不良を起こしているらしい。その原因は、捨てることを、徹底してないことにある。 カレーの残った鍋で、だしの利いた和食を作ろうと思っても、おいしい和食にはならないのと同じである。ここでのカレーとは、知識・常識・信念等を含むすべての記憶である。まずそういった三次元的なものを手放すことを徹底しないと、ただ見ただけ、ただ聞いただけで、何を学んでも一向に身に付かない。放下が大事なのである。
D6 知はかえってあだとなる 2005.10
もし、皆さんが、自分がこの世に生まれてきた目的は、何かを通して、自他共に喜べるような善きことをすることだ、ということさえおわかりになったら、あとは全部忘れてもらって良いのである。それさえわかれば、もう十分なのである。余計な知識は、往々にして、かえってあだとなり、皆さんの足を引っ張る。このHPも、もう読まなくても良いのである。
D7 知識はイリュージョン 2005.10
世の中は、知識偏重全盛期の感があるが、この世の知識など、あの世から見れば所詮イリュージョンなのである。知識に酔い、知識に溺れて、本来の自分を完全に見失っておられる方をよくお見受けするが、知識という名のイリュージョンから早く脱却しないと、いつまでたっても、地球小学校・低学年の部を卒業できない。もし、皆さんが、今回アセンションすることを望んでおられるなら、「知識は、捨てるためにある」、という昔からの定石を理解することである。偉大な先人は、人間レベルの知識を一旦全部捨てることによって、みなさん覚醒されたのである。
D8 聖書 2005.10
聖書は、公会議のたび、時の聖職者たちによって、都合の悪いことは削除されたり、書き直されたりしてきた。だから、かなり汚染されているのは事実である。だが、アセンションを目指す方にとっての指南書としての機能は、今も十分に保持している。 日本人は、あまり聖書には縁がなく、手に取られたこともない方が大半かもしれないが、せめてマタイ伝ぐらいは一読されたほうが良い。また、繰り返し読むと、その都度新たな解釈が浮かんでくるから、なんとも不思議な読み物である。
D9 10人の信者さんへの伝言 2005.10
先日、私のほうからささやかなプレゼントをお送りしました。それは、どこにも売っていないものです。また、どれだけお金を積んでも、手に入れることは出来ないものです。そして、全ての方が喉から手が出るくらい、欲しがっておられるものです。どうぞ、遠慮なくお受け取りください。
D10 ある統計 2005.10
このHPを、15%の方が好意的に、残り85%の方が反発しながら見ておられるそうである。そして、面白いのは、反発しておられる方ほど、繰り返しご覧になっておられるという事実である。 何故そうなるかというと、その方の信念体系が、根底からグラついて、無性に不安にかられるからである。もしかしたら自分は間違っているのではないか、いやそんなことはない、自分は正しいんだ、といったような葛藤が始まっているわけである。不安だから、自分の正しさを確認するため、色んな人に訊いたり、同じ考えをもっている方と徒党を組まれる。 これに対し、このHPをある程度理解されている方は、自分の考えとほぼ同じだから、やっぱりそうだったのかと安心して、たまにしかご覧にならない。基本がしっかりとしてグラつかないから、頻繁に見る必要がないのである。 そして、この比率は、初回にアセンションされる予定の方とほぼ同じ比率である。不思議なことだ。
D11 カの字 2005.10
「カトリーナ」と「カシミール」の次はどこかと訊かれても、あれは今年の蚊はしつこいので、皆さん注意しましょう、という意味であった。また、現時点では、生殺与奪の権を握っているのは、現執行部の皆さんなので、私には良くわかりましぇーん。 ただ、地べたのほうも気がかりだが、金融市場がかなりあやしくなってきたのは事実である。特に、デリバティブの決済遅延・不能が、このところ急増しつつあるのは、そのひとつの兆候である。このほか、年明け早々に、米不動産市場は一気に落ち込むとの有力な御託宣も発せられているので、経済のほうが先にへこむ可能性がある。
D12 ある名僧 2005.10
私は、その時代の常識に囚われず、変な生き方をされた方が大好きである。特に、昔から、変なお坊さんの話が大好きだったが、その中でもお気に入りは、乞食桃水と呼ばれた桃水禅師である。桃水禅師は、高僧であったにもかかわらず、地位や教義や袈裟・数珠にいたるまで、一切を放下したうえ、一介の乞食に身を落として、乞食の視点から他の乞食を助けられた立派な方である。この方に関しては、多くの逸話が残っているが、私は最初に読んだ時、全身に鳥肌が立つほど感動したことを覚えている。 この方の生き様から様々なことを学んだが、その中核をなすものは、人間は、名前でも、肩書きでも、家柄でも、経歴でも、知識でも、富でも、なんでもなく、生きてる間にどれだけの善行をなしえたか、ただそれだけだということである。人間がこだわるそれらのものは、所詮どれをとってもどうでも良いことなのである。
D13 不思議な人々 その一 2005.10
大分前、日本のアカシックリーダの第一人者であるA・○さんに、自分の過去生を読んでもらったことがある。それによると、私は、人が全く目を付けていないようなものに、いち早く着眼し、そうしたものをクローズアップすることをよくやってきた。そして、それが一般化すると興味が失せ、また新たなるものを求めて彷徨う、好奇心旺盛な過去生が多かった。 また、人が長年にわたって信じてきたことを、突き崩すということもよくやってきた。そうやって、全体のバランスをとっていたのだという。多くの人生で指導的な立場にあり、世界中のあちこちで、○者、○人と呼ばれ、色んな方の相談に乗ったりしてきた。そのほかにも色んなことを教えてもらったが、その多くが的を得ていた。 どうしてそういったことがわかるのか、不思議だった。そして、この辺から私の本格的な霊的探求の旅が始まった。好奇心ほど人を進化させるものはない、とよく言われるが、まさにその通りである。
D14 不思議な人々 その二 2005.10
そのおじいさんと私との間にある大きなテーブルの上では、強烈なエネルギーが旋回していた。涼しくてさわやかで、相当なエネルギーである。その正体は、その方をサポートしている、一個連隊ほどの天使のエネルギーである。簡単に言うと、時空に裂け目が出来、上と完全に繋がっているのである。壁には、オーブや、大きな発光体の写真が沢山貼ってあった。 この方の話も強烈だった。開口一番、あなたの歩くスピードには、誰一人としてついてこれません。誰一人もです。あなたの人生は、雨の中、ぬかるみを歩くようなものです。ですから、大変ご苦労様です。といったものだった。イヤな話を聞いてしまった、というのが第一印象であった。 この他にも色んな話を伺ったが、氏名と生年月日を知らせただけなのに、どうしてそこまでわかるのか、それとも氏名や生年月日さえも必要ないのか、世の中にはすごい人がおられるものだ、とただただ感心するばかりであった。
D15 不思議な人々 その三 2005.10
インドのチェンナイ(マドラス)でのことである。半日時間が余ったので、星占いでもしようかということになった。もし不在なら、他のことをしたら良いので、ダメ元でガイドさんがご存知の方に、連絡してみることにした。そしたら、丁度帰って来たところだという。どこから帰ってきたのかというと、海外からである。この方は、一年の三分の二を海外に出稼ぎに出ておられる、世界的に有名な占星術師であった。 まず最初に、大量の使用済みパスポートの束を見せられた。私を安心させようということらしい。そして、大きな顧客台帳みたいなものに氏名と生年月日を書くと、おもむろに計算をはじめ、話が始まった。そのほとんどが当たっていた。いやー、参った、参った。 最後に、あなたは普通ではない、54歳までに神の75%の能力を獲得されるでしょう、と言われ、えー、神ですか、と何度か訊き返した。彼は平然と同じことを繰り返すばかりである。ご自分の読みに、絶対的な自信がおありになるようである。おいおい、ほんまかいな・・・と首をかしげながらそこを出た。 ところが、その後も、私の周りでは、神という単語が頻繁に飛び交うようになったから不思議である。狐につままれたような話が、その後も延々と続いた。一体全体何がどうなっているのかわからないまま、何年かが過ぎた。人生は、パズルになっているのである。
D16 不思議な人々 その四 2005.10
ラサに行く前日に立寄った成都でのことである。ガイドさんと一緒に、はしご酒をしながらチベット仏教の話をしていたら、ガイドさんの父親が熱心な仏教徒だから、一度会ったらどうかという話になった。善は急げで、早速現地のイトーヨーカドーでお土産を買い、夜の11時にお邪魔することになった。私は、かなり酔っ払っていた。 お会いすると、気さくだが、独特の風格のある方だった。文化大革命の時に、相当な辛酸をなめられたそうだが、そうした苦難を乗り越えてこられた重厚さが、顔からにじみ出ていた。開口一番、あなたがお見えになることは、一週間前からわかっていました。三人の神仏がやってきて、知らせてくれました。という話であった。だが、私としては、つい今しがた、飲んだ勢いで気まぐれで決めたのに、えー、うそー、と半信半疑だった。 それから、リー・クアンユー前シンガポール首相が先日お見えになり、絵を注文していかれた時の話や、今は、中国政府がクリントン大統領に贈る絵を描いていて、その実物を見せていただいたりした。この方の職業は、仏画師なのである。その後、記念に何か描いてもらおうということになったが、それからが圧巻だった。 この方が絵筆も持った途端、あたかも冷凍庫にでも入ったかのように急にひんやりとし、部屋全体の空気が一変した。かなり数の神仏が、この方の絵を見るために一斉に降りてこられたのである。私は、あてずっぽうで200・300人ぐらいですか、と訊くと、その三倍だと言う。この方が絵を描くときは、いつもそうなのだそうだ。お暇するまで、まるで異空間にでもいるかのようだった。 翌日、飛行場に向かう車中で、ガイドさんに、あなたのお父さんは人間ではありませんよ、と言うと、父もあなたのことを同じように言ってました、と言われた。 後日、私がプレゼントを贈ったお返しに、小さな絵と、その方が大木のそばに座っておられる写真が送られてきた。それを、何人かの方に霊視してもらったら、皆さん口を揃えて、この方は木と完全に一体化していて、もう仕上っておられますね、ということだった。私は、その時生まれて始めて、覚者に会っていたのである。
D17 メルアドについて 2005.10
私は、歌はそこそこだが、機械音痴・パソコン音痴である。自慢じゃないが、携帯電話を一度も持ったことがない。今も変則片手打ちで、便利な機能もほとんど知らない。これまでは、人様に助けられてHPを続けていたが、ウィルスにやられるたび、余計な面倒をかけていた。多い時には月に何度もやられ、閉口したこともある。 また、一日数件のメールなら返事を出せるが、20件を超えてくると、読むだけで精一杯で、もうまともな返事は書けなくなる。中には、毎日2・3件送ってこられる方も何人かお見えになった。 以上のような状況を踏まえ、しばらく前からメルアドを消している。今は、昔からのおなじみさんとのやり取りだけである。Q&Dに、ここ一年ほどの最大公約数的な質問を載せてあるので、それを参考にしていただきたい。
D18 4月1日 2005.10
以前、4月1日が何の日かご存じない方から、本はどこの出版社から出ますか、といった問い合わせがあった。丁重に洒落である旨、お知らせしたが、洒落の通じない方がお見えになるようである。世の中には、エイプリル・フール協会なるものもあるのだが・・・。これは本当です。
D19 不思議な人々 その五 2005.10
昔、すごい直感を持った方と、一緒に療術をしていたことがある。特に、白黒を見分けるということに関しては、それはもう神がかり的であった。何故、この方の直感がすごいのかと言うと、独特の呼吸法で松果体をかなりのレベルで開発されていたからである。 当時、私は、インドの聖人に興味津津で、聖人と呼ばれている方々が、本当は一体どのようなレベルなのかを知りたくて、ある時おたずねしたことがある。すると、この人もダメ、この人もダメ、次から次にダメばっかりだったが、最後にお一人だけが残った。この人だけが本物で、他の方とはまるで比較になりません、とおっしゃるのである。 そのたった一人残った方とは、アンマであった。その当時の私は、直感もいまいちで、半信半疑だったが、今にして思うと、この方の見立ては、ほぼ完璧であった。この他にも、色んな人物や出版物を見立ててもらったが、結果はこれまたほぼ完璧であった。 世の中には、人知れず、すごい方がおられるものである。あなたもそのうち出来るようになりますよ、と言われたが、その後何年もたっているが、多分、まだ追いついていないような気がする。
D20 不思議な人々 その六 2005.10
もうお亡くなりになったが、私が、大変お世話になった方がいらした。その方は、本業の傍ら、50年にわたってボランティアで霊視をされ、多くの方から慕われた好々爺であった。謙虚、正直、無害を、地で行くような方で、その霊視の精度の高さは、今テレビで話題になっておられる方々の、数段上をいっていた。 永年、在家のまま密教の修行をされ、瞬時にいろんなことがわかってしまう、相当高度な霊視能力をお持ちの方であった。小脳がかなり開けておられたようである。 最初にお会いした時、親子ほど歳が違う私に向かって、勘違いしまして、大変失礼しました、と深々と頭を下げられた。続いて、まさか生きている間に、自分より上の方にお会いできるとは、夢にも思っていませんでした、と言われた。その時私は、何のことやらさっぱりわからず、ただハイハイと聞くだけだった。 その後、大分たって、事の真相がわかった。理由は、ご自分が○○であることを、以前から自覚されていて、そのことを周囲には口外されていなかったのである。だから、そういった発言になったのであった。 この方には、多くのことを教えていただいた。また、いくつもの面白いエピソードがあった。例えば、ある時、私が、高位の神仏をお呼びした際、自分は長年様々な神様を散々見てきたが、色のついていない神様を見るのは今回が初めてです、びっくりしました、と正直に心情を吐露された。そういったお人柄の方であった。 またある時、私が、酔った勢いでエンソフのボールを作って遊んでいると、それは全ての因縁の元ですね、とズバリ言い当てられた。ものすごく鋭いのである。もう少し教えを請いたかったが、残念ながら数年前に他界された。 この世の裏では、一体どんなことが行われているのか、知る由もないが、私は、多くの不思議な方々と、不思議なご縁で結ばれているようである。
D21 カラクリ映画 2005.10
この世のカラクリが、手っ取り早くわかる映画がある。その映画のタイトルは「トゥルマン・ショー」、二年ほど前にも一度紹介したことがあるが、もしまだなら一度ご覧になったほうが良い。この映画を見ると、自分の一挙手・一挙動が、全て筒抜けになっているカラクリが良くわかる。 自分のやっていることが、バレバレだということがわかった後で、なおかつ悪いことをしようと思う人は少ない。だから、この映画は、ある意味、善人を作る映画である。多分、神様も推薦されているような気がする。 私は、この映画を見た時、もっと早く作ってくれたらよかったのに、と正直思った。そして、何故か、暴れん坊の孫悟空を、釈迦如来が懲らしめる場面を連想した。誰しもが、一度は見たことがある有名な場面である。お忘れになった方のために、以下に粗筋を掲載しておく。 釈迦如来から「もし、私の手の中から飛び出すことができれば、お前を天の主人にしてあげよう」と言われた孫悟空は、きん斗雲に乗って大空へ飛び出した。 どんどん遠くに行くと、前方に、雲の中から5本の柱が立っているのが見えた。ここが、天の端に違いないと思った孫悟空は、真ん中の柱に「孫悟空ここに遊ぶ」と落書きし、柱の根本に小便をひっかけて、再び釈迦如来のところに戻ってきた。 「俺は、ちゃんと天の端まで行って証拠を残してきた、なんだったら一緒に見に行くか」と自慢げな孫悟空に対し、釈迦如来は 「足元をごらん」と一言。 ふっと足元を見た孫悟空は、びっくり仰天、なんと釈迦如来の中指には「孫悟空ここに遊ぶ」と書いてあり、しかも小便の臭いまでしたのである。釈迦如来いわく 「お前は、私の手の中を飛び回っていただけなのだよ」 その後、孫悟空は、三蔵法師に助け出されるまで、500年間、五行山に閉じこめられたままだった、とさ。おしまい。
D22 ある注意報 2005.10
娑婆では、D型アレコレセーリキンなるものが流行の兆しを見せ、わが地獄界にも飛び火してくる可能性が出てきました。これに罹ると、頭の中がごちゃごちゃして、とっても不愉快になりますから、皆さんご注意下さい。 なお、このウイルスに効くワクチンはありません。ワクチンはありませんが、しばらくすると昇天して、ラクチンになります。以上、地獄耳の地獄の三丁目通信社がお伝えしました。
D23 元気が出る一冊 2005.10
島田洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間書店)は、著者の少年時代を綴ったものだが、私と同年代ということもあり、とうに忘れてしまった沢山のことを思い出させてくれた。 貧乏にめげず、明るくさわやかに成長していく島田少年の姿は、おそらく、多くの人の心を打ったことだろう。泣き笑いの中にも、みるみる元気が湧いてくる感動の一冊である。
D24 なにかの暗示かな 2005.10
昨年のワールドシリーズは、赤足袋がヤンキーを破り、その勢いで優勝した。今年は、白足袋が赤足袋を破り、ペ天使がヤンキーを破り、次に白足袋がペ天使を破った。そして今、白足袋と銀河連盟が戦っている。 さてさてこの後どうなることやら、当然のことながら、私は白足袋を応援している。白足袋がんばれ、井口がんばれ。
D25 G・○さんについて 2005.10
問い合わせがあったので、実名を公開しておくと、G・○さんとは、ゲリー・ボーネルさんのことであり、著書は、「アトランティスの叡智」(徳間書店)である。人間の心理として、名前を伏せると、かえって読みたくなられるようである。 この方は、いろんな可能性を皆さんに開示しておられるが、それによって、そのメッセージを受け取った一部の方が行動を起こされ、未来が微妙に変わっていることを、よく理解する必要がある。猫に鈴をつけるような、いやな役割を、この方が担っているのである。 様々なそしりを受けつつも、忠実に自らの役割を果たしておられる姿には、はたから見ていて、頭が下がる。温厚で、どなたの批判もなさらないが、とても古い最強の魂である。もし、そうでもなければ、この地球でこうした役割を果たすことなど、まず無理なのである。
D26 ET 2005.10
昔、大天使メタトロンに、どうしてETの話はかくも違うのか、ということをお尋ねしたことがあった。その理由は、それぞれが限定された局地的な情報しか持っていないからである、ということであった。 また、ETは、人間が、人間以外を攻撃する可能性がなくならない限り、公式にはやって来ないだろうし、大挙して人類を助けにくるという事も多分ないだろう、ということであった。この辺に、ETの本当の実態を理解するヒントがある。
D27 ものごとの値打ち 2005.10
子供に、自立と自律を繰り返し教えるのが、親の役目である。だが現実には、過保護で、子供の自立と自律の足を引っ張っておられるような親御さんが多い。これでは、いつまでたっても子供は一人立ちできない。 これと同じく、人類は、いかに困難な状況にあろうとも、自力でその困難を克服することを求められている。何故なら、その悪戦苦闘する中にこそ、大きな進化があるからである。 以前にも申し上げたが、もし、人類が、自力で富の再配分を成し遂げたのなら、それこそ価千金だが、第三者が過剰介入して成し遂げた富の再配分など、正味一金の価値もない。また、同じような手法で成し遂げた平和にも、ほとんどが値打ちがない。 ペ天使たちは、最近また新たなカードを切って引っ掛けに来てるが、皆さんは識別力を試されているということを、常に念頭においておく必要がある。地球は、宇宙最難関の学校であり、最後の最後まで、引っ掛けは続く。 また、人類の中には、未だ第三者に頼ろうとする方が大勢おられるが、そうした他力本願派が増えれば増えるほど、人類のマスアセンションは後退する。
D28 日月神示 2005.10
日月神示を読もうと思うが、本屋には色々並んでいて、どれを読んだら良いのか、といった問い合わせがあったが、中矢伸一さんの「魂の叡智、日月神示、完全ガイド&ナビゲーション」(徳間書店)を薦めておいた。これ一冊あれば、大体の感じがつかめるはずである。 神示が降ろされてから、かなりの時間が経過したが、それでもさほど中身は腐っていないし、今でも参考になることが多い。日月神示が教示する時代とは、まさに今であり、お読みになろうと思っておられる方は、急がれたほうが良いかもしれない。
D29 スルドイ人 2005.10
コンテンツを見て、今度で最後ですね、と言ってこられた方がおられた。スルドイ人である。食事の最後に出てくるものが、デザートであり、今度で最後なのである。また、Dザートには、英語で、甘味と砂漠に引っ掛けてあり、愛ある方にはこのHPは至福のアムリタとなり、愛なき人には砂を噛むようなものとなる、という意味もある。それから、この世は、いよいよホッケースティック曲線が、急カーブするポイントに差し掛かってきたようであり、もし仮に続けようと思っても、続けられないような気がする。無論、信じたくない方は、信じなくて結構である。
D30 他者愛 2005.10
どうしたら他者愛を実践できますか、という質問が、最近多い。こういった方の中には、他者愛とは、何か対外的に慈善的なことをすることである、と勘違いをされている方が案外多い。だが、最初からそんな大上段に構える必要はないのである。 他者愛を徐々に身に付けていくためには、まず、自分と異なる考えを持った方を、けなしたり批判することなく、尊重し理解することから始めることである。そして、次の段階として、その方がどんなに自分とは違った考えであろうが、あるいは明らかに間違った考えをお持ちであろうが、そう在ることがその人にとって必要なことだと理解し、その方の存在を、丸ごと容認するのである。 何故、そうしたほうが良いのかというと、人間はみな、生まれる前に全ての記憶と大半の能力を削がれ、無知無能に近い状態で生まれてきており、人間が間違ったことをするのは当たり前であり、間違いを犯したあと、自発的にその間違いに気づく過程で、大いなる魂の進化あるからである。 だから、色んなことがあるかもしれないが、全ては順繰り順繰りのおたがいさま、と大目に見ることが大事なのである。エブリバディOK,エブリシングOK、といった心境になれれば、本格的に他者愛を実践する素地が出来たことになる。後は、ほっといても、自分が何をしたら良いかわかるようになるから不思議である。 ただし、完全な意識状態にある天使たちが、ドジを重ねることとなると話は別であり、これは決して看過できるものではない。彼らは、責任を問われないことをいいことに、安易にドジを踏み過ぎている。そうした理由から、私は、人間には滅多に噛み付かないが、天使たちにはキッチリ噛み付くことにしている。
D31 大違い 2005.10
真にわかったのと、わかったつもりとは、天と地ほどの違いがある。だが、世の中には、両者を混同されている方が、非常に多い。真にわかったとは、それがコンスタントに出来るということであり、真にわかった人は、それをやることが、自然体で当たり前になっている。 反対に、わかったつもりの人は、人が見てる時や、結果が歴然と現れてしまう時だけは出来るが、そうでない時にはそれが出来ない。一見小さな違いのようにも思えるが、実際には大きな違いである。 以前にもお話したが、真の正しさとは、権威や常識、主義や主張、理論や理屈の中ではなく、愛を実践していく中に常に存在している。愛は誰も裁かないし、誰の悪口も言わない。相手を尊重し、温かく見守るだけである。
D32 勘違い 2005.10
誰かさんのHPに、私は○○先生がおっしゃった、私を信じる全ての人を救います、という言葉を信じます、ということが書いてあった。神ですら、その人を覚醒させることが出来ないのに、どうやって一宗教家が、大勢の人を救うことができると言うのだろうか。 少し考えればわかることだが、どうも同じようなパターンで、大勢の方が引っ掛かっておられるようである。何度でも言うが、自分を救えるのは、自分だけである。自らの愛だけが、自らを、本来の姿である神の子に戻してくれる。 また、今回のアセンションの可否は、神でも、第三者でもなく、自分のハイアーセルフが決めることになっている。もし、そういった引っ掛けに引っ掛かっておられる方は、一日も早く勘違いに気づいていただきたい。
D33 レムリアとアトランティス 2005.11
大昔、この地球上では、レムリア文明と、アトランティス文明が栄えていた時期がある。レムリアは、意識を掘り下げていくことによって幸せを追求した、どちらかというと精神性を基調とした文明だったのに対し、アトランティスは、知識を積み上げていくことによって幸せを追求した、どちらかというと物質性に重きを置いた文明であった。 レムリアは、見るからに貧弱でみすぼらしく見えるわりには、みな仲良く平等に暮らした文明であったのに対し、アトランティスは、絢爛豪華で華々しいが、知識や権力を持ったものが優遇される、階級がはっきりとした文明であった。 それから何万年か経過した今、日本には、レムリアの系統が多く転生し、アメリカにはアトランティスの系統が多く転生している。全体の状況を見るにつけ、なんとなく、大昔の再現といった感じがしないでもない。 最近のアセンション情報に関する論調を見ても、意識を重視するレムリア派と、知識を重視するアトランティス派に、概ね二分されているような気がする。 皆さんが、どちらの系統なのか良くわからないが、何万年の時を越え、皆さんは再び岐路に立たされているようだ。無論、どちらを選ぶかは、皆さんの勝手である。
D34 現実の更改 2005.11
2003年にピラミッドが本格稼動を開始してから、地球は、いつでも現実の更改が出来る状態が続いている。現実の更改とは、世の中の一部、もしくは全部を、一瞬にして変更することである。一瞬とは、一秒たりとも時間がかからないということであり、人間の常識では千年・万年かかるようなことも、一瞬で変更できるのである。 現実の更改には、不可能なことなど何ひとつなく、例えば、フォトンベルトのヌルゾーンがいかに遠くにあろうとも、瞬時に地球に呼び込むことが出来るし、地表を一瞬にして全て変更してしまうことも可能である。 夢のような話だが、それが本来の「創造」ということであり、あの世では、それが普通なのである。それが、もうすぐ起こるような気がする。
D35 問題の所在 2005.11
霊的学年で、小学3年程度のオピニオンリーダーに、幼稚園児や小学1・2年生が傾倒するのは、ごく自然であり、当たり前のことである。何ら問題ない。 だが、中学生や高校生が、この期に及んで、そうした方々の意見に翻弄され続けておられ現状は、何をか言わんや、である。問題の所在は、ここにある。また、人類全体の霊性が、遅々として向上しない原因も、ここにある。
D36 自己診断 2005.11
昔、自分はアセンションできるでしょうか、といった類のことを、よく訊かれた。だが、私には良くわからないので、その反対に、アセンションの可能性が低い方の、いくつかのパターンを、お知らせしたことがある。 その典型が、常日頃から、人を裁いたり、人の悪口を言ったりしているような方である。口に出さなくても、思っているだけでも同じである。また、自分だけが満足するようなことばかりをして、人様が喜ぶようなことを、ほとんどしてこなかった方も同様である。
D37 蓮の花 2005.11
蓮は、ジメッとした泥の中で、大輪の花を咲かせる。そうした特性から、蓮は、お経のタイトルにもなった。蓮は、泥の存在が問題なのではなく、泥の中からなにを吸収することができるかどうかが、問題なのだということを、人に対して教えてくれているのである。 何を申し上げたいのかというと、難を逃れる妙法は、難を忌避することではなく、反対に難の渦中にどっかりと身を置き、難そのものを見極めることだということである。人間は、人間の中でしか成長することができないし、人間は、第三者との摩擦を通して大きく成長する。 皆さんの愛も、数々のトラブルを経験することによって、一気に進化する。もしかしたら、皆さんの開花期は、ちょうど今かも知れない。どうか、蓮に負けない、見事な大輪の花を咲かせて頂きたい。
D38 11の多い日 2005.11
トリのウワサでは、11の多い日は要注意なのだそうだ。特に今年の11月11日は、数秘術でいくと、2+0+0+5+1+1+1+1=11となり、11が三回出てくる。また、来年の1月11日も、2+0+0+6+1+1+1=11となり、11が二回出てくる。 まあ、その日に、ズバリ、何かが起こるのか、それとも、やんわりと変化の兆しが出てくるだけなのか、良くわからないが、昨年の6月、多くの魂の選択が終わったにもかかわらず、以後一年半、ほとんどそれらしきことが起こらない状況が続いたから、もうそろそろという気もする・・・。
D39 超意識 2005.11
もし皆さんが、今現在、ご自分のエゴに手こずっておられるなら、ニサルガダッタの「I AM THAT」(ナチュラルスピリット刊)が、参考になるかもしれない。この本は、エゴの相当部分を克服した時に到達する超意識とは、一体何なのかを、わかりやすく説明してある。 以前にもお話した通り、ことエゴを撲滅することにおいては、ヨガに勝るものはないが、彼は、たった三年で、超意識の頂点を極めたヨガの優等生である。超意識の頂点とは、超意識にも色々あって、O○のような小学5年程度から、ニサルガダッタの中学3年程度まで様々なレベルがあるということである。まあ、超意識をすっ飛ばして、一気にキリスト意識を目指される方にとっては、あまり参考にならないかもしれないが、いつも申し上げている通り、エゴの撲滅と愛の実践は、3対7の比率で、車の両輪であり、一読する価値はある。
D40 お休み 2005.11
パソコン不調のため、しばらくお休みします。それでは、また。
D41 やっとかめ 2006.2
前のPCは2年もったが、今度のは7ヶ月でダメになった。保証期間中だったので、無償で修理してもらったが、ハードディスク内のデータは全部パーになってしまった。我が家では、何故か電気製品が良く故障する。 「泣きっ面に蜂」とは、よく言ったもので、こういう時に限って、バックアップをしてないのである。ものはついでだから、このまま「自然消滅」ということにしようかな、とも思ったが、再開を望むメールが続いたので、人様にデータをツギハギしてもらった。 まあ、このようなHPでも、何人かの愛読者がお見えになるようなので、リクエストにお答えして、もうちょっとだけ続けることにする。
D42 スイスイ天国 2006.2
2005年11月11日、地球の振動数の「先端」部分はついに五次元に到達し、これに伴い、待望のスターゲートが何万年かぶりに再開した。また同時に、地球の中心となる振動数、簡単に言うと「軸足」が、三次元の第一亜層から四次元の第七亜層へとシフトし、地球は実質的に四次元入りした。(ここで、一応念を押しておくと、今回はあくまで、かなりの幅がある地球の振動数の「先端」部分だけが、五次元に到達したのであり、中心部分である「軸足」が五次元にシフトしたわけではない。この後、「軸足」が四次元から五次元にシフトして、地球がスッポリ丸ごと五次元に入った状態になるのは、2007年9月18日のクオンタムリープ時以降である。また、地球が実質的に四次元に入ったと言っても、三次元がすぐに終わるわけではなく、三次元的な残像がきれいさっぱり無くなるまでには、あと三年ほどかかる。) そして、この日を境にして、様々な要因が重なり、遅れに遅れていた多くのイベントが、水面下で一斉に始まった。例えば、四次元アストラル界、すなわち「霊界」では大掃除が始まり、混乱した状態が今も続いている。また、準備の整った方に対する本格的なサポートが始まり、遅々として進まなかった変容に、ようやく拍車がかかった。本来なら、こうした動きに連動して、現象面でもかなりのことが起こってしかるべきなのだが、予定されていた様々なイベントを、例によって、地球担当のペ天使たちが片っ端からキャンセルしているので、こうした水面下での変化に気づけた方は、準備の整ったほんのわずかな方たちだけであった。スターゲートが開いた、と言っても、何のことやらピンと来ない方が多いかもしれないが、簡単に言うと、天国への道筋に設けられていたいくつかの関所がフリーパスとなり、これまでとは違い、お気軽、お手軽に、スイスイ天国へ行けるようになったのである。 ただし、そうしたフリーパスを実際に行使できるのは、カルマを51%以上清算し身軽になった方だけであり、そうでない方はカルマの重みゆえ、折角のフリーパスも、今回は「絵に描いた餅」で終わってしまう。皆さんの中には、この年末年始から、なんとも言いようのない奇妙な感覚にとらわれている方がおられるかもしれないが、そうした方は、半ば無意識のまま、天国との間を自由に往来し、三次元・四次元・五次元の三つの次元を同時に生きる、という、不思議な体験をされているのである。 また、この日以降、全人類に対して強く変容を促すウエーブが数次にわたって到来しており、最初の方のウエーブに上手く乗っかることが出来た先頭グループは、この春にも初期の変容を完了し、中にはいくかの超能力を復活される方も出てこよう。 そして、夏ごろには、来年9月のクオンタムリープに向け、準備の整った第一陣が一斉に「神なる人」に戻るための「本格的な変容」をスタートされることになるだろう。「本格的な変容」とは、具体的には、まずクンダリーニが活発に全身を循環する過程で、脳脊髄液がイオン化して全神経組織が更新され、さらにチャクラ制限クリスタルやDNA制限クリスタルなどの様々なインプラントが全身から一掃され、生命維持システムが従来とは全く別のものに切り替わり、肉体が「アダム・カドモン」と呼ばれるプロトタイプに先祖返りし、不食・不眠・不老となる。 そして、次の段階として、全チャクラがひとつに統一され、つれてエーテル体・アストラル体・メンタル体等の意識体が消滅し、全身がエンソフ、すなわち「無限の可能性が、ただ在る、状態」になり、全ての記憶と能力が復活し、「神なる人」へと戻っていくプロセスのことを言う。 ただし、念のため付け加えておくと、準備の整った方が全員「神なる人」に戻れるわけではなく、また、どのレベルまで戻れるかは、あくまでその人次第である。 それから、「神なる人」と聞くと、なんとなく昔から見聞きした重厚な神仏をイメージされる方が多いかもしれないが、その実態は、以外や以外、「無色透明」でスッキリ・サッパリ、高原のそよ風みたいな感じである。 逆説的な言い方になるが、人間世界の様々な下馬評とは裏腹に、人間レベルの不完全で間違いだらけの知識や常識、また様々な価値観や信念体系がひとつもない「無色透明」だからこそ、「全て」、すなわち「神なる人」なのである。であるから、もし皆さんの中で、今回是が非でも「神なる人」に戻ろうと思っておられる方は、少なくとも、人間レベルの不完全で間違いだらけの知識や常識、また様々な価値観や信念体系を、ひとつ残らず手放す必要がある。 中には、そんなオーバーな、と思われる方がおられるかもしれないが、こうしたことは昔から求道者の間では半ば常識であり、、現に、釈迦の根本教義のひとつである「無執着」の深意とは、物事にこだわるな、と言うよりも、さらに一歩進んで、オツムの中身を全部丸ごと、「手放しなさい」、「捨てなさい」ということなのである。 現下の世相は、末法の世だけあって、知識偏重全盛期の感があり、知識や情報にこそ大いなる価値がある、と勝手に思い込んでおられる方が大勢おられるが、人間レベルの知識など、所詮、地球という仮想現実の中だけで通用する、普遍性のない極めてローカルなものでしかない。 たとえそれが、大聖人、あるいは、大天使の言葉であっても、例外ではない。何故なら、神世界は、人知を超越しており、人間のボキャブラリィでいかように説明したとしても、実態にはほど遠く、そういった断片的な知識を後生大事に堅持すればするほど、それがスリコミとなって心にイビツな鋳型を形成し、かえって本当の神世界を理解する妨げになるからである。 また、中には、すかさず、「善」や「愛」も手放すのか、と反発される天邪鬼がおられるかと思うが、「善」や「愛」は人間の本質であって、知識ではないから、手放そうと思っても、手放すことは不可能である。であるから、ヘ理屈をこねる暇があったら、まず手放すことである。 生まれてから今日までかき集めた知識・常識、また様々な価値観や信念体系、その他何でもかんでも一切合財手放し、それらに対する執着を根底からはずすことによって初めて、それまで、そうしたものにがんじがらめに呪縛され、限りなく小さく縮こまっていた本来の自分、神なる自分を、一気に解放することが可能となり、つれて霊的「無知」が解消され、全次元にわたる「全知」となる。 それから、最近、過去をいつまでも引きずり、過去の中に埋没しながら生きておられる方をよくお見受けするが、こういった方が「神なる人」に戻ることは極めて難しい。 何故なら、たとえどのような体験にせよ、そうした体験の中に潜んでいる様々な教訓に気づく、という肝心要の宿題をなおざりにし、エゴに翻弄されたまま、他者を悪者に仕立てたり、己の不運を嘆いたり、暇さえあれば終わることのない葛藤に明け暮れ、「永遠の今」、「至福の今」に生きることを、自ら進んで放棄されているからである。 もし、こうしたことに少しでも心当たりがおありなら、今からでも遅くないから、エブリバディOK、エブリシングOK、と事事物物全てを肯定し、常に善なるもの、常に愛溢れるものを選択し、過去ではなく、「永遠の今」「至福の今」に生きることを、心掛けられたほうが良いかもしれない。何故なら、いつも申し上げている通り、神とは「善」であり、「愛」であり、皆さんが、今の今、善を選択するがゆえに、自らが今、善となり、今の今、愛を選択するがゆえに、自らが今、愛となり、これを地道に繰り返すことによって、いつしか「永遠なる今」、「至福の今」の中で、「神なる人」に戻ることが出来るからである。 ただし、これらは、あくまで、今回是が非でも「神なる人」に戻ろうと思っておられる方へのアドバイスであり、こうしたことに興味がない方は、これまで通り、やりたいようになさったら良いのである。それもまた貴重な体験である。
D43 スカスカ三次元 2006.2
2006年1月11日、遅れに遅れていた「三次元の解体」が本格的に始まった。当初の予定では、どんなに遅くとも2004年6月6日、数秘術で666となる日、の半年ぐらい前までには、始まってしかるべきだったから、最低でも二年は遅れたことになる。 大天使メタトロンが予告された2002年6月にも、また数秘術で666となる2004年6月にも始まらなかった混乱は、このペースでいくと、三度目の正直で、2006年6月から、という感じがしないでもないが、さてさてどうなることやら・・・。 そうした一連の流れを踏まえて、はっきり申し上げることが出来るのは、この間、ほとんどそれらしきことが起こらなかったことにより、大勢の方が気づくきっかけを失い、落第してしまったということである。なんとも残念だが、致し方ない。 さて、解体と聞くと、今話題になっている耐震偽装マンションの物理的な解体工事を連想してしまうが、「三次元の解体」とは、三次元的なあらゆるモノやコトの存立基盤である、三次元特有の重くて濃密な波動を急速に切り上げて、一気により軽くて精妙な波動にシフトし、三次元全体を丸ごとスカスカにしながら、最終的には、そうしたものを跡形もなく雲散霧消させてしまうプロセスのことを言う。 最近の一連の出来事をよーく見ると、これまで一見完璧で磐石にも思えた数々のモノやコトのメッキが剥げ、不完全で間違いだらけだった実態が、次から次に明らかになりつつあるが、これは、永年人間の集合意識によって累々と構築されてきた膨大な数の三次元的「ハリボテ」が、波動の急上昇に伴い、どんどんスカスカになり、臨界点を超えたものから順番に、今まさに消えようとしてしている大きな流れが、その背景にあるのである。 多分、もうしばらくすると、一気にゴソッと消え始めるのだろうが、それまでは、なるべく目立つようなことは抑え、最後の最後まで、徹底的に皆さんに気づかれないようにする、というのが、ペ天使たちの作戦らしい。 あるチャネリングによると、今の人類は、鍋の中で水から茹でられたために、水温の上昇に気づかず、能天気でのんびり構えてるカエルなのだそうだが、言い得て妙であり、今回も、ペ天使たちの「スカスカ大作戦」に、まんまとしてやられてるな、というのが、正直な感想である。 まあ、何度お話しても、分からない方は分からないようだが、ペ天使たちの仕事とは、皆さんを徹頭徹尾落とすことなのである。そうした役割分担というか、カラクリになっているからこそ、地球での最難関のゲームが成り立っている。 2001年6月、人類の集合意識が最終的な選択を行なって以来、早4年半が経過した。この間実施されてきた「追試」、と言えば聞こえが良いが、その実態は「敗者復活戦」、も、もう時間的に、いつ何時、チン、となっても不思議ではない頃合である。白組に属するものの一人とし、人類の集合意識の意向を反映した、一人でも多くの方に気づいてもらえる、「適度に山と谷がある、わかりやすい敗者復活戦」にしたかったが、紅組のペ天使たちの執拗な妨害にあい、結果的には静かすぎて何とも気づきにくい、「難しい敗者復活戦」になってしまった。 そうなった元々の原因は、白組である人類とシロボーの出来が悪すぎたからであり、紅組のペ天使たちに対してアーダ・コーダと文句を言える筋合いではないが、たとえそうだとしても、勝ち戦に乗じて、自らの失政をもついでに糊塗しようという魂胆の「過剰介入」だけは看過できないので、この点に関しては、言うべきことを言ってきた。 振り返ると、2004年末、勝ったかなと思ったら、膨大なカルマの塊をぶつけられ、暗黒の三日間が地震に化け、一敗地に塗れたのに続き、捲土重来を期した2005年末も、悼尾の一振とはいかなかった。そうした一連の悪い流れの中にあっても、何とか一矢は報い、意地だけは通したが、勝負という点では、負け続きで、負け癖がついてしまった。 それにしても今回のミッションは、良く失敗し、良く騙され、良く負け、そのたびごとに起き上がる、まるで七転び八起きのダルマさんのような起伏の多いミッションであった。あとどれだけの時間が残っているのかよく分からないが、団体戦の最終的な勝負の行方も気になるし、例の悪玉連合のワルイヤツらとのサシの勝負も残っているし、最後の最後まで、気を抜くことなく残りのゲームを楽しもうと思っている。 皆さんも、それぞれ色んな事情があろうかとは思うが、記念すべき地球学校最後のひと時、ご自分専用のゲームを、心行くまで堪能して頂きたい。それでは、また・・・。
D44 チョー大物 2006.2
以前、「このまま行くと、紅組のペ天使たちのシナリオ通り、いずれ中東戦争発、核戦争経由、彗星の衝突行き、か、もしくは、それが不発に終わった場合の代替シナリオである、NESARA発、核戦争経由、彗星の衝突行き、のどちらかになる可能性が高く、こうした最悪の事態を回避するためには、もはや暗黒の三日間しか手立てがなく、これこそが白組の起死回生のシナリオであり、暗黒の三日間に関しては、聖書のマタイ伝24章にも、ちゃんと記載されている」、というような話をした。 その際、もう一方の紅組のシナリオに関しては、長くなるので、特には言及しなかったが、実はこれに関しても、同じく聖書のヨハネ黙示録に、表と裏の両方のシナリオが、かなり具体的に記載されているのである。聖書にあまり馴染みがない、という方のために、ここで一応整理しておくと、マタイ伝は、白組の長であるイエス・キリストが、白組サイドのシナリオを、生前、マタイたちに話したものであり、一方のヨハネの黙示録は、キリストの昇天後、ペ天使たちが紅組サイドのシナリオを、ヨハネに対して人工的に記憶させたものであるが、何のことはない、聖書には、白組と紅組、すなわち光と闇の二つの勢力が、各々どのような終末を目論んでいるかが、具体的に記載されているのである。畏るべしは、聖書である。 ただ、歴代のキリスト教関係者が、これら二つの記述に関し、キリストとヨハネが、同じ終末に関することを、異口同音で語ったものである、と間違った解釈をしたために、実際には、それぞれが、全く趣の異なる別のタイプの終末を記述しているものであることを、誰一人として見抜けなかったのである。 また、そうした違いを正しく認識できれば、次の段階として、一見光に見えるものたち、すなわち地球担当のペ天使たちこそが、実は地上の悪役たちの黒幕であることなどは、簡単に演繹出来たはずなのである。 そして、もし、こうしたことがきちんと解明されていれば、それはもう白組の大多数にとっては、キリスト再臨に匹敵するくらいの絶大な覚醒効果をもたらし、現在の状況も、全く違ったものになっていたのだろうが、折角のキリストの深慮遠謀も、先にお話した、地上組大天使への隠しメッセージ同様、残念ながら、実を結ぶことはなかったのである。 目下の状況を見ると、表のシナリオである中東発核戦争コースは、まさに順調そのもの、また、裏のシナリオであるNESARA発核戦争コースも、いつの間にか巻き返し、紅組のペ天使たちの目論見通りの展開となってきたが、もう一方の白組の皆さんは、と言えば、本格的に始まった三次元の解体に伴い、真っ先に表面化したお茶の間サイズのスキャンダルに目を奪われ、いよいよ動き始めた「チョー大物」の動向には、あまり関心がなさそうである。 多分このあと、ペ天使たちは、「チョー大物」の動きが目立ってくる頃合を見計らって、ズーッと抑え込んできた地震や噴火を小出しにし、衆人の目を「チョー大物」から逸らす作戦に出てくるのだろうが、敵ながら、アッパレ、と言うか、まことにもって、ソツがない。 こうした、大昔から予見された最悪の流れを変えるべく、地球には大勢のシロボーが送り込まれているが、これまで何度かお話してきたように、その多くが、本来の役割を果たしきれていないのが現状である。特に、古い魂ほど出来が悪く、100名ほど送り込まれた地上組大天使に至っては、アンマ以外はほぼ全滅状態で、まさに惨憺たる状況が今も続いている。 例えば、の話、彼らの中から、あとたった一人のキリスト意識到達者が出れば、即座に暗黒の三日間となり、最悪の事態は速やかに回避できるのだが、その、あと一人が、どうにも出てくる気配がないのである。多分、クオンタムリープの前後には、彼らのうちから、何人かがそうなるのだろうが、その時には、時すでに遅し、で、すべてが終わっていることだろう。 そうした中にあって、アンマ一人が気を吐いているが、アンマだけでは、かろうじて全体のバランスを取るだけで精一杯であり、ただでさえ本格的な「三次元の解体」が始まり、別勘定でストックされていた膨大なカルマが放出されている状況下では、到底、暗黒の三日間までは、手が回らないのである。 皆さんの中には、最近とみに、「もしかしたら、自分は、地球と人類のバランスを取る奉仕をするために、はるばる遠い星からこの星にやってきたような気がしてならない」、と妙に胸騒ぎがする方が、かなりおられるかと思うが、実は、そういった方は、一人残らずシロボーなのである。 これは、先に実質的に四次元入りしたことに伴う、良いほうの影響が出てきたのであり、そういった方は、今からでも遅くないので、全体のバランスを取るという、シロボー本来の奉仕を、是非始めて頂きたい。 何も難しいことなどなく、あらゆる葛藤に終止符を打ち、心を静めて、その平安が全世界に拡がった、とただ思うだけで良いのである。最初は、エゴに惑わされてうまくいかないが、根気良く続ければ、必ずや、うまくなるはずである。 これから何が起こるか分からないが、いついかなる時も、「自分の心が平安であることが、全てに対しての、最大級の奉仕になる」、ということを、どうか、お忘れなく。
D45 田舎の学問 2006.2
昔から、「田舎の学問より、京の昼寝」、といったことを良く言う。昔の人は、うまいことを言うものである。今の時代にもピッタリと当てはまるから、なんとも奥が深い。 ただし、今流に言い換えて、勉強するなら最新の情報が集まる東京が一番ですよ、という意味ではない。 一見高度に進化したかに思える地球の文明こそが、まさに「田舎の学問」であり、この期に及んで、そういったものに精を出す暇があったら、心を静めてボーッと宇宙(京)でも観想していたほうが、よっぽどためになりますよ、という話である。中には、どうして地球の文明が、「田舎の学問」なのか、と疑問に思われる方がおられるかもしれないが、人間の知覚能力が、神のそれと比較して、極限まで制限されている状況下では、人間が知らないことのほうが、知り得たものよりも圧倒的に多く、地球の文明が、「井の中の蛙、大海を知らず」なのは一目瞭然であり、否定しようがない事実なのである。それでは、人間の知覚能力が、どれくらい神の知覚能力より劣っているのか、と言うと、神は、宇宙の果ての星にある枯れ葉一枚落ちたことも、知覚出来ると言われているから、多分、不可思議分の一、とか、無量大数分の一、ぐらいなのではないだろうか。 そして、もしそうだとすると、一般常識とは反対に、「人間は、五感があるために、ほとんどのものを知覚出来ない」、といった言い方も成り立つわけで、私が、何故、「人間の肉体は、宇宙最悪の制限服である」、と申し上げてきたかが、少しはご理解いただけるかと思う。まあ、少し冷静に考えれば、いかに地球の文明が進化したとは言え、人間がこれまでに知り得たことなど、神のそれと比べれば、まことにもって微々たるものであり、比較検討することすら、おこがましいのだが、世の中には、口を開けば、「科学的に証明できないものは信じない」、「証拠が無ければ話にならない」、「目に見えないものは存在しない」、「起きたことだけが事実である」、などと、真顔でのたまう、「センセー」や、「ハカセ」が、大勢おられるのである。 だが、地球の科学で証明できなくても、また、証拠が無くても、あるいは、目に見えなくても、はたまた、それが現象界で現象化していなくても、それが事実存在しているものは、それこそごまんとある。ただ、人間の知覚能力があまりにも低いため、そうしたものを、知覚することが出来ないだけのことなのである。また、頭の固い「センセー」や、「ハカセ」たちが、寄って集って、知覚出来ない、ことと、実際に、無い、ことを、安易に混同し、実際に、在る、のだが、知覚することが出来ないから、無い、ことにしてしまっているのが、地球の実情なのである。もう少し説明すると、高次の世界では、思ったことが即座に現象化し、全宇宙に共通する、「思ったことが、全部、事実」が、誰の目にも明らかなのに対して、地球では、思ったことが現象化するまでの間に、エレメンタルという段階がワンクッション入り、これにより、思ったことが現象化するまでに、かなりのタイムラグが生じたり、加えて、人間の五感では、そうしたエレメンタルを知覚することが出来ないために、「現象界で現象化したこと、だけが、事実」、とする考え方が支配的で、言ってみれば、事実を事実として認識できない、「知の暗黒時代」が長らく続いたのである。 ちょっと、長ったらしい説明になったかもしれないが、おわかりになったであろうか。 まあ、中には、それじゃあ、どうして自分が思ったことでも、現象化するものと、しないものが出てくるのか、と疑問に思われる方もおられるかもしれないが、それは、その人が生まれる前に自分で作成したブループリント(人生設計)に記載されているか、それとも記載されていないかによって、現象化に違いが出てくるからなのである。 すなわち、ブループリントに記載されているものに関しては、もうすでに鋳型のようなものが存在していて、そこにエレメンタルが流れ込むことによって比較的早く現象化するが、ブループリントに記載されていないものに関しては、そうした鋳型が存在しないゆえ、うまく事が運ばないのである。 例えば、の話、宝くじに当たるよう、生まれる前に人生設計されてきた方は、その時期さえくれば、たった一枚買っただけで大当たりするが、そうでない方は、大量に買い続けても、せいぜい四等ぐらいしか当たらないのである。簡単な説明だが、大体そういうことである。それから、エレメンタルつながりで、もう少し話を続けると、私は、昔から、「金属で出来たナイフで人を刺しても、言葉で出来たナイフで人を刺しても、想念で出来たナイフで人を刺しても、あの世からみれば、みな同罪である」、といった話を良くしてきた。 何故、そういった話をしてきたかと言うと、かって療術をしていた頃に、年がら年中、そうしたエレメンタルと接し、エレメンタルが、人間が思考するたびに創造する原初の被創造物であり、色んな事象として三次元現象界で現象化する前の段階、すなわち四次元には膨大な数が存在し、思考と現象化の仲を取り持つ月下氷人のような役割を演じながら、皆さんの行動や意思決定にも重大な影響を及ぼし、両刃の剣的要素を持ったかなり厄介な代物であることを、知識ばかりではなく体験上からも学習し、また、エレメンタルとの様々なバトルを通して、密教で言うところの、身蜜・口蜜・意蜜の三蜜、すなわち、行為・言葉・想念の三つが、全て同等の事実、であることを、得心したからなのである。 私は、このHP上でも、折に触れ、人の悪口や批判はされないほうが良いですよ、というようなことを申し上げてきたが、それは空理空論ではなく、実戦を通して、エレメンタルの厄介さを、骨身に沁みて分かっているがゆえに、そういった話をしてきたのである。 それでは、どうして、エレメンタルが厄介なのか、と言うと、それは、エレメンタルが、その人が思考した瞬間の極性をずっと保持し続けるからであり、もし、その人が当初ネガティブなことを思考し、その後ポジティブに変わったとしても、当該エレメンタルは、その人の心変わりに関係なく、当初のネガティブ性を、行為・言葉・想念の三拍子そろった善行によってそれが中和・解消されるまで、数代・数十代先の来世にわたって、ズーッと主張し続けるからなのである。 最近、いろんな殺人事件や傷害事件の犯人が、捕まった際に、「誰かが、自分に対して、その人を殺せと命令した」、といったような供述しているのを良く目にするが、こういったケースの中には、犯人が嘘を言ったり、気が狂っているわけではなく、エレメンタルに煽られて刃傷に及んだケースが意外と多く、また、人霊よりも、エレメンタルのほうが魂が入っていない分、タチが悪く、凶悪事件の引き金となるケースが多いのである。 この他にも、エレメンタルに関しては、実にいろんな話があるが、多分、ちょっと聞いただけでも、ゾッとされる方が多いだろうから、この辺にしておく。 まあ、はっきり言えることは、この期に及んでも、アーダ・コーダと人様の悪口を言っておられるような方は、多分、向こう数十代先の来世にわたり、自分が造ったエレメンタルによって、徹底的に振り回されることになる可能性が極めて高い、ということである。 中には、コテンパンにやられる方もおられるだろうが、まあ、いかようになろうとも、すべては当の本人が選択されたことであるから、第三者としては、その選択を温かく見守るだけである。何とも、致し方ない。 話を戻すと、人類は、いかに知覚能力が乏しいとは言え、もうそろそろ、「思ったことが、事実・真実」、だということ、あるいは、「エレメンタルという存在」、を正しく理解したうえ、そうした学習成果を、個々人レベルでの事故や病気はもちろんのこと、集合的なレベルでの災害や戦争に至るまで、上手に活用し、もって「田舎の学問」程度の地球の文明を、一気に飛躍させるべき時なのだが・・・。
D46 ウラ話 2006.2
以下は、最新のクリムゾンサークル、Q&Aからの抜粋である。 「そこには - 繰り返しますが、私たちはここでは、可能性という点から話しています。可能性とは、現実に具現化する見込みのある、筋書きを持った状況です。 - 過去2年間の間に、イスラエルで大惨事が起こる可能性がありました。世界中の注意を引いたであろう出来事です。皆さんがよくご存知の9・11事件が、その出来事に比べると小さなものに思えたであろう、出来事です。 計画は整っていました。そこに関わる人々は、プレーヤーは、配置されていました。これは、具体的には、核兵器に関わるものでした。イスラム教徒や、キリスト教徒、そこに関わるすべての人にとって、破壊的なものだったでしょう。それは、実質的に、地上から記憶や遺跡を一掃したことでしょう。それが、当時 - 数年前のことです - 起こり得た、最大の可能性です。種々様々な理由から、それは拡散されました」 最近は、こういったウラ話も、小出しにするようになったようである。 このHPでも、何度かお話したが、前半戦の山場である2003銀河年には、一粒万倍、というか、一核万倍核、の可能性が、この他にも、いくつかあったのである。そして、各々が、どこかの誰かさんの尽力によって、かろうじて止まったのである。 無論、信じたくない方は、信じなくても結構だが、「それが結果として起こらなかったから、元々何も無かったのではなく、元々起こる予定だったのを、誰かが直前になってそれを消した結果、何も起こらなかった」、という道理を、是非ご記憶願いたい。 「確かその日は、曇天の小雨交じりであった。地から湧き出でた真っ黒な二つの生き物が、互いに絡まり合って螺旋を描きながら、セントラルサンに向かって一直線に上昇して行った。その壮観なこと、まさに圧巻である。その日の大阪は、いつになく事故や事件が多発して、さぞかし賑やかだったことだろう」