明智光秀は生涯側室を持たなかったという。
苦労時代を支えてくれた妻への思い強きがゆえであろうか。
あるいは、単に経済事情だろうか。
しばし裕福な時期もあった者が、一夫多妻制の世の中にあって、家督の継承や己の性欲に妻への愛が勝ったというのは類稀なことだったのかもしれない。
封建社会は既にない。
大名も家臣もいないし、一夫一婦制の世の中だ。
戦後80年。
封建社会の規範の中で生きた良妻という概念を現代で体現している女性はいるのだろうか。
既に絶滅危惧種に近いだろうが、私の祖母の時代にはまだ数多存在した。
戦後生まれの世代に至って、その数は格段に減った。
では、現在はどうか?
残念ながら、もはや見かけなくなった。
過去の良妻は、言うなれば、文化遺産となった。
男女の別という概念が希薄化していく現代にあっては、致し方のないことであろう。
しかして、我が妻は良き妻であると思う。
では、現代における良妻とは、どのような女性であるのか。
もちろん、私の妻が良妻のモデルたるべしと、押し付ける気は毛頭ないが、敢えてそれを言葉にしてみたい。
- 夫を信頼している
- 家を支えるための苦労をいとわない
- 物欲や承認欲求が希薄
- 謙虚ながら自分に自信がある
- 人望がある
一言で言えば、ちゃんとした人格の人だろうか。
切り口を変えて、良妻であれば賢母なのだろうか?
良妻=人格者 なのであれば、おそらくそうだ。
少なくとも人格者でない人は、賢母にはならないことは想像に難くない。
翻って、自分はどうなのか? ――については敢えて言及しないでおく。
人は等しく母から生まれてきた。
ならば、賢母が良き社会を創ると言ってもよいだろう。
良き世を創りたければ、妻には人格者を選ぶべし。
ということになろうか。
つまり、良妻を得られるように己の人格を磨くべし。
日々是修行だな。
頼むぞ未婚の若者よ。