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〜 欲と苦楽は穢土の華 〜

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組曲D 第12楽章 2004/3/19

  • 2021年10月26日
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「咲いて散り、散っては咲いた、神代花」

「らん・ラン・蘭、万年ぶりの、花の宴」

某月某日 73日目

巫女ちゃん印のこうじ味噌でおなじみの神船一味噌主催
第3回「味噌汁すすってお気軽ダイエット全国コンクール」途中経過報告
エントリーナンバー28番ミスターDさん 23キロ減 参加者144人中143位

最近は「大変な役を引き受けられましたね」といったメールがポツポツ届くようになった。

ようやく、私が何を言いたかったのかを理解される方が増えてきたようである。

中には、天下(てんげ)の全方位のみならず、天上に対しても苦言を呈していることをキチンと見抜いておられる方がいらして、大した慧眼だと感心した。

私は、人間に噛み付くことは滅多にないが、人間に対して高望みしすぎる天上界には噛み付くことにしている。

まあ、相手は噛み付かれても痛くも痒くもないようだから、効果のほどはさほど期待できないが、言うべきことは言ってきた。

本来ならこうしたことも、その他の事も、私の仕事ではなかったが、上から派遣された正社員のほとんどが昼寝しているので、やむなく見習社員の私が急遽代役をさせられたのである。

情けなかったのは、そのうちの何人かがこのHPを見ており、まるで他人事のように冷やかな目で見ていたことである。

中には、真っ向から批判している方もいて、私にしてみれば「オイオイ、それはないだろう」と言いたい心境であった。

知らないということは、実に気楽なものである。

ピーチクパーチク言いたい放題言って、適当に盛り上がってさえいれば、それで事が済むからである。

逆に、知っているということは、人から見れば、いいな、と思われるかも知れないが、この地球では案外シンドイことの方が多い。

言いたいことが言えない反面、時には言いたくないことや違うことを言わなければならないからである。

そしてそのツケは、当然の事ながらみんな私のところに廻ってきた。

まあ、これについては辛抱すれば済むことだからどうにかなるにしても、多くの方に理解されないというジレンマが結構ボディーブローのようにきいた。

私の信条は「どんなに高邁なことを言っても、相手が理解できなければ言わなかったことと同じである。また、どんなに立派なことを教えても、相手が実践できなければ教えなかったことと同じである。理解した、とは、それが実践できる、ということであり、実践できなければ、理解していないことと同じである」といったものであるから、尚のことであった。

私がこのHPで繰り返し言い続けてきたことは、とても簡単である。

とても簡単なのだが、説明の仕方が悪かったのか、それとも神の経綸が今現在9ヶ月延びていることが響いたのか、皆さんの反応は今ひとつであった。

言い続けてきたことのいくつかをおさらいすると、
「人はみな神であり、神は愛である」
「他者を愛することが、宇宙随一の至宝である」
「人間は愛なき世界を体験し、もって愛を進化させるため、宇宙最難関の地球学校にきている」
「人間は本来の能力を、極限まで制限されている」
「地球の諸問題は、全て愛の不足に起因する」
「愛が不足する主たる原因は、人間のエゴである」
「この世のすべての出来事は、原因と結果の法則に基づいて起こっている」
「人間の知識や常識が、根底から覆されるようなことがこれから頻発する」
等々であり、どれもこれも簡単なことばかりだったのだが・・・・・。

この世は、実に巧妙なカラクリで満ち溢れている。

例えば、人間には目や耳があるから見えたり聞こえたりしてとても便利である、とほとんどの方が思い込んでいるが、本当は目や耳があるがゆえ、宇宙の果てが見えないしその音も聞こえない。

人間の五感は極端に制限された、ほんの申し訳程度の機能しか持っていない。

人間が本来持っている超感覚は、どこにいても宇宙のすべてを知覚でき、視覚・聴覚・触覚などの区別が全くない一体化したものである。

また、誰しもが、人間こそが自分の頭で考えて日々進化することができる万物の霊長だ、と思い込んでいるが、その実態は想像を絶するほど退化した神の分身である。

頭でどれだけ考えても、自分の魂の出自を理解することなど到底かなわないほど、人間は見事なまでに退化している。

退化した要因はいくつかあるが、主たるものはエゴである。

エゴこそが、早急に掌握しなければならない獅子身中の虫である。

もし、人間の頭で考えるだけで覚醒できるなら、頭の良い方はみなこれまでに覚醒してきたはずである。

例えば、東大やハーバード大やオックスフォード大を出たような方はみな頭が良いわけであるから、全員とは言わないまでも、少なくとも何人かの覚者が出てきても良かったはずである。

だが実際には、そんな話はいまだかつて聞いたことがない。

また何千年もの間、秀才・天才と呼ばれるような方が繰り返し宇宙の真理や謎解きに挑戦し続けてきたが、今も尚、万人が納得できるような結論を出すには至ってない。

じゃあ何故、頭で考えても一向に覚醒できないかと言えば、人は小さい時からのスリコミで、どうしてもエゴで考える習慣から脱却できないからである。

また、エゴで考えると必ずといってよいほど、自分の考えこそが正しい、と思い込み、そこから先へ進めない。

ほとんどの方は、自分の心の中に巣食うエゴがそう思わせていることに疑問すら抱かないし、エゴの存在そのものに気づける方も稀である。

エゴで考えれば考えるほど、覚醒からは程遠い迷路に入ってしまい、はっきり言って考えるだけ損なのだが、かと言って、考えることそのものを放下できる人など滅多にいない。

だから、頭で考えても埒など明かないから、ひたすら愛の実践の中に身を置き、ハートの内奥で感じることのほうが、急がば回れで、はるかに近道で一番賢い方法なのですよ、と繰り返してきた。

人間は、エゴで考えることをやめ、ハートの内奥で感じるということを優先して初めて、本来の自分に気づくことが出来る。

釈迦もキリストもその他の覚醒された方も、みなエゴの頭で考えることを放下し、ハートの内奥で感じるということを優先された方たちである。

ハートの内奥とは、神我のことである。

言い方を変えると、いずれの覚者も、通常は純粋観察者のスタンスを崩さない神我に自らの思考の主導権を明け渡すことによって、神我に活動してもらったのである。

愛の実践課程でも、これと同じようなことが自然と起きる。

何故なら、愛は神であり、愛を実践するということは、神我が活動している状態だからである。

覚者がよく初期の段階で、瞑想や座禅をなさってきたわけは、エゴで考えることを意思の力で抑制し、神我に集中することが、覚醒するための良い方法であるとご存知だったからである。

エゴ御用達の専用コンピューターと化してしまった脳の思考回路を強制的に停止させ、もって神我に全託することに成功されたのである。

かと言って、私は何も皆さんに瞑想や座禅を薦めているわけではない。

確かにそれもひとつの有力な方法だが、私は愛の実践こそが王道だと思っている。

何故なら、普通の生活の中で愛を実践しながら愛を極めてゆくことを、神が最も望んでおられるからである。

加えて、瞑想や座禅だけでの悟りは、ごく浅いものでしかない。

また、永年瞑想や座禅を続けたとしても、エゴで考えたことを神我からのメッセージだと錯覚する人が非常に多く、こうしたことも積極的にお薦めしない理由のひとつである。

多くの方は、甘言こそが神我からのメッセージだと勘違いして、エゴのマヤカシを見抜けない。

皆さんもそのうちおわかりになると思うが、神我が与えてくれるヒントの多くは、エゴにとって相当手厳しいものばかりである。

中には受け入れ難いようなものもあるが、それこそがエゴを撲滅するための最良の方法である。

であるから、普通の生活の中で愛を実践しながら愛を極めてゆくことこそが、誰にでも簡単に出来、また長い目で見た場合、意外とブレが少なくて賢い方法なのである。

神我の話をしたついでに、神我が目覚めてゆく過程で起こる身体的な変化に関して、簡単に説明しておく。

皆さんが愛の実践を本格的に始められたり、ハートの内奥に意識を向けだしたりすると、大概胸や背中が苦しくなったりする。

このHPを見ているだけでも、同じようなことが起こる場合がある。

これは、神我を包囲しているエゴが切り崩される時に起こる特徴的な現象である。

当初は、胸や背中が苦しくなったり重くなったりするだけだが、そのうち熱感が加わり、その次はヤケドするような熱さになる。

こうしたことが何回か繰り返されると、今度は一転して涼しさが混ざるようになり、最後には身震いするような冷気がハートチャクラから噴き出すようになる。

これが、神我が本格的に活動し始めたサインである。

そしてこの頃から、ハイヤーセルフであるモナッドからの通信が急増し、直感が一段と鋭くなる。

続いて、ハートチャクラから視床下部に至る4次元パイプが構築されるようになると、神我はエゴを駆逐し始め、エゴに乗っ取られていた脳は徐々に神我のコントロール下に入ってゆく。

こうしたプロセスを経て、人は本来の神の分身へと回帰してゆく。

以上だが、よろしければ参考にして頂きたい。

私はこれまで、こうした人間の常識から見れば大きくかけ離れたことを種々取り上げてきた。

だが、皆さんにはどうしてもクロがシロ、シロがクロに見えてしまうらしく、理解された方はほんの少数だった。

昔、大天使メタトロンのお話を伺った時、「私は何千人もの方に話をしてきたが、理解された方はたったの三人だけでした」とおっしゃられたが、最近シミジミとその心情がわかる。

この地球では、何を選択するかはその人の自由であり、他人がとやかくいう筋合いのものではない。

ただ、出来うればこうしたことに一日も早く気づいて頂きたいと、今もそう願っている。

昨年の夏以来、NESARAが長引き、下手な作文を長々と書き続けてしまった。

気がつくといつの間にか回想録めいたものまで書いてしまっていた。

世間では、回想録を書くのは引退した時と相場が決まっているようだから、私もこれに倣って、この辺でそろそろ隠居させてもらうことにした。

お付き合い頂いた皆さんには深く感謝するとともに、ご多幸を心よりお祈りします。

それでは皆さんどうかお元気で、さようなら・・・・・。


「化縁完了 任意捨身 生死一如 即身成仏」

空海入定の句

「自分の一生は色々あったが、やるべきことは全てやった。だから、この世にも、また自分の命にも、何ひとつ未練などない。死などというものは幻であり、命は永遠である。時がきたようだから静かに身罷り、本来の姿に戻ることにする」

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