「寂しさと、不安と怖れ、みぞれ雨」
「耳元で、楽になれよと、サタン言う」
某月某日 ○日目
一時期、仕事をホッポリ出して海外旅行にハマっていたことがある。
パスポートの査証欄が足りなくなって増補したくらい、あっちこっちを飛び回っていた。
というか、正確にはほっつき歩いていた。
最初の頃は物珍しさも手伝ってか、異国の文化に一々感動していたが、その内何処にいって何を見ようがあまり感動しなくなった。
何故だろうと考えてみると、どんなに美しい街並みであろうが、またどれだけ価値のある歴史的建造物であろうが、みなハリボテにしか過ぎない、ということを見抜いている自分に気がついた。
丁度その頃、お気に入りだったヨーロッパやアメリカにもいささか飽きてきたので、目先を変えようと思い、朝刊に載っかっていたイランツアーに応募した。
私の旅はいつも思い立ったが吉日で、即断即決である。
どうしてそうなるかというと、潜在意識の奥底で眠っている放浪癖が、待ってましたとばかりに俄然騒ぎ出すからである。
そして、行こうと決めたその日から、私の旅は始まっている。
当時のイランは、革命に伴う混乱やイラン・イラク戦争の後遺症がまだまだ色濃く残っていた。
力を得たイスラム原理主義者たちは、中国の文化大革命的な粛清と思想引き締め、また国内体制の抜本的な変革を継続し、その勢いは他のイスラム諸国にも波及するほどであった。
そうした中、ようやく外国人向けの観光事業を再開した直後の訪問であった。
観光を担当する大臣が直々に歓迎レセプションを開いてくれるなど、どこに行っても友好的で、客人を大切にするイスラムの良き伝統が守られているようであった。
紀元前に建てられた遺跡群を筆頭に、イスラム独特の建築物や精緻な幾何学模様、また西アジアらしい文化や生活様式など、多くの見所があった。
そして、これらにも増して印象深かったのは、エスファハーンで見た星空であった。
空気がきれいなことと乾燥しているせいか、生まれて始めて見る、それはそれは衝撃的ともいえるほど見事な星空であった。
いつの間にか忘れてしまった大好きだったものに再び巡り会えたような、えもいわれぬ懐かしさを感じた。
多くのイラン人が、家族連れで星を観賞しに来ていた。
家族揃って星を愛でる彼らの感性に、日本人が忘れてしまった真の豊かさというものを垣間見た気がした。
日程が後半にさしかかった頃、現地のガイドさんが「パーレビ時代は、普通に働いてさえいれば何年かに一度、家族揃ってヨーロッパ旅行に行けるくらい豊かだったのに、どうしてこんなになってしまったんでしょうね」とポロッと本音を洩された。
日本に出稼ぎ経験のあるガイドさんは、石油が無くても豊かな日本と、石油があるにもかかわらず貧しいイランを見比べ、何かがおかしいんですよ、と訴えたかったらしい。
だが、その時の私の反応は内心「そんなもの、アメリカとヨーロッパのワルッコクラブの連中と、おたくとご近所のひげを生やしたお偉方のせいにきまっとるがな」であった。
何故なら、この地域一帯では石油が発見されて以来、石油にまつわる利権と石油収入の使途を巡って、ワルッコクラブの連中による虚虚実実の駆け引きが繰り広げられ、そうした権謀術数の渦巻く一連の流れの中で、イラン革命やイラン・イラク戦争そして湾岸戦争などが、彼らの策略に基づいて人為的に引き起こされてきたからである。
また、イスラム諸国の指導者の多くが、彼らによって軍事的緊張を煽られ、武器を売りつけたり時には戦争を起こしたりするための駒として、まんまと利用されてきたからである。
石油自体もうまみが大きいが、戦争は消費の極致であり、これまたうまみが大きいのである。
話は戻って、ガイドさんの本音の一言は、何故かズーッと私の耳に残っていた。
そして、これに限らずこの世のありとあらゆる問題の核心が「誰が」ではなく、「何が」そうさせたのかにあり、その「何が」を突き詰めてゆくと、みな「愛の不足」という一点に辿りつくということを理解できるようになるまで、その後かなりの時間を要した。
人生はよく旅に例えられるが、私はこんな簡単なことを理解するのに、イランを始め数多くの国々を旅し、かつまた半世紀にわたる人生という名の長い旅をしたことになる。
今にして思えば、随分と遠回りばかりをしてきた旅であった・・・・・。
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