「いつの世も、人の心は、流れ雲」
「定まらぬ、心いざなう、娑婆地獄」
某月某日、○日目
HPを立ち上げて以来、多くの方からメールを頂いた。
アセンションできるでしょうか、などという軽いものもあれば、切羽詰った人生相談のような深刻なものまで、実に様々な内容であった。
アセンションに関するメールで感じたことは、天上界が種々雑多のウソを流しているせいか、多くの方が間違った認識を持たれていることであった。
その中でも質問の多かったアセンションの可否に関してだが、色んな宗教が繰り返し、最後の審判があるから罪を悔い改めなければ地獄に落ちる、などというデタラメを吹聴してきたこともあり、神がアセンションの可否を決めると思い込んでおられる方が多かった。
だが、神はなんびとも裁かないし、皆さんのアセンションの可否を裁定することもない。
アセンションの可否は、その方のハイヤーセルフが決めることになっている。
ハイヤーセルフとは高次の自己のことであるから、もう一人の自分が自分のアセンションの可否を決めるのである。
そして、人類全体のマスアセンションをいつどのように執り行うかは、天上界が決めることになっている。
また、アセンションできるかどうかの絶対的な指標など、実はひとつも存在していない。
以前にカルマの51%の清算という数字を紹介したが、この数字は厳密に言うと、色んなものを総合的に勘案した上で、最終的な判断を下す際における目安となる数字である。
どういうことか具体的に説明すると、若い魂の場合はごく短期間に限った自分のカルマの清算だけで事足りるが、古い魂の場合は長期間にわたり、しかも自分のカルマのみならず縁ある第三者のカルマも背負うハンデ戦に挑んでおられる方も少なくなく、一口にカルマの51%の清算といっても、その中身は人によって数倍から数万倍以上の開きがでてくる。
これだけ開きがでてくると、傍から見てあの方ならきっとアセンションされるに違いないと思われるような立派な方でも、その方が古い魂であればカルマの51%を清算するための絶対量は膨大なものとなり、清算が追いつかないためにアセンションを逸してしまうことが往々に起きてしまうし、逆にまさかと思われるような方でも、前世までに大半のカルマの清算が終わっていれば、簡単にアセンションを達成するようなことが起きる。
こうした一種の不条理にも似た状況を調整するために、各人各様の条件を総合的に勘案した上で最終的な判断を下す必要性があり、機械的にパッパと振り分けてしまうための絶対的な指標などが存在していないのである。
この他意外と多かった質問は、普通に生きているだけではアセンションできないのか、というものであった。
その大半は、大衆を隠れ蓑にして自己保存したいという願望をお持ちで、牽制球を投げたかったらしい。
「普通」という言葉を持ち出されると誰しも妙に納得してしまう傾向にあるが、問題はその「普通」の中身である。
すなわち、日常生活の中でごく「普通」に愛をコツコツと実践しておられるような方なら、アセンションのアの字も知らなくても有望だが、自己中心的であったり愛とエゴとを混同するのが「普通」の方は、どれだけ特殊なトレーニングをされていようが、あるいはいかにアセンションの知識に通暁されていようとも、多分無理であろう。
この他、多くの方が勘違いされていたことをいくつか列挙すると、アセンションは意図さえすれば達成できるわけではないし、どこかの誰かが何かしらの神通力を使って第三者をアセンションさせることが出来るわけでもない。
また、ごく一般的な宗教であれば何を信仰しているかなど全く問われないし、ありきたりの食べ物であれば何を食べようが一向に差し支えない。
何度でも申し上げるが、愛をコツコツと実践し続けてゆくズーッと先に、アセンションというゴールが存在する。
アセンションへの道のりは、愛の実践という単純明快な細くて長い一本道である。
単純な一本道なのだが、多くの方は自他のエゴという妖怪に惑わされて脇道に逸れ、道草に興じてしまう。
脇道に逸れたこと自体は貴重な体験であるし、逸れれば逸れるほど一本道に復帰した時のスピードは「大悪人が大聖人」の如く、一気に加速するからそんなに卑下することも無いが、逸れているということを自覚できるかどうかが運命の分かれ道となる。
古今東西、多くの覚者が異口同音に「己を知れ」とか「自分は誰か」というキーワードに言い残してきたわけは、今の自分がどのような状況であるかを正確に把握出来るかどうかが、次元上昇、すなわちアセンションするための重要な鍵となるからであった。
それから、人生相談のメールで感じたことは、エゴに振り回されて苦しんでいる方が非常に多いということであった。
ここで一応お断りしておくが、私は人生相談を生業としているわけではないので、悪しからず。
そこそこ良いところまでいっているのだが、芯の部分のエゴが残っているため肝心要のところでいつもエゴに打ち負かされてしまっている方、自覚症状がほとんどないままエゴに上手にコントロールされている方、エゴに完璧なまでに乗っ取られ迷妄の極みを彷徨っている方、など色んな方がおみえになった。
こうした方々に共通していたことは、エゴに関する認識が甘く、その強大さや狡猾さをほとんど理解されていなかったことである。
これではエゴを克服することなど、まさに蟷螂の斧そのものである。
親切心から、何人かの方に客観的な感想をお知らせしたが、結果はまちまちで、自分が否定されたと早合点したり反発された方も多く、あまり芳しいものとはいえなかった。
誤解しないで頂きたいのは、私はその方たちの何をも否定したわけではないということである。
逆にその方たちのエゴこそが、自分の真実の姿を受け入れることを拒否していたのである。
言い方を変えると、自分もしくは第三者によって捏造された虚像を、実像と思い込み固執していたのである。
こうしたやりとりを通じ、自分の頭で考えて問題点を洗い出し解決策を模索するというごく基本的な動作や自らのエゴと真正面から一戦交えるということもせずに、安易に第三者に頼る方がいかに多いか、また需要と供給を反映し世の中には適当なことを並べ立てて人をたぶらかしている方がいかに多いかを、改めて勉強させて頂いた。
全メールを通じ感じたことは「地球は狭いが、世間は広い」であった・・・・・。
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