人間はなぜ悩み苦しむのか
人間の苦しみ、その諸悪の根源は、分離にある。
宇宙開闢がなぜどのように行われたのかは一旦置いておくが、人間の存在の起源は、この世に生まれ落ちることである。
私は以前、所有の概念こそが、人類の諸悪の根源であると考えていた。
所有の概念さえ無ければ、人と人とが争うことはないのではないかと。
盗みもなければ、浮気もないし、仮に殺されても肉体を所有しているわけではないから文句もないのではないかと。
しかし、それは誤りであった。
そもそも、所有の概念がどこから生まれるのかと言えば、肉体を持つことによって生ずるのである。
生まれるから死と直面することになる。
それはとりもなおさず、生への渇望を生み出し、同時に生を確保するための手段としての所有の概念をも生み出すのである。
人間がその肉体を維持する必要がなければ、何かを所有する必要もない。
生存のために食料を確保したい。
生殖のために異性を獲得したい。
生活のために家土地が欲しい。
所有は、生を維持するための手段である。
所有のために労働したり、させたり、戦ったり。
人々は人生を転げ回る。
苦しみの本質
こう言ってしまっては元も子もない気もするが、人類の諸悪の根源は生まれてくることなのである。
これが、釈迦が言った生老病死の苦のうち生の苦のことであろう。
生まれるが故に苦しむ。
ならば、その苦しみは親子関係に始まる。
親と子の分離が生死を意識する起点であり、生きるために所有を求め始める起点なのだ。
乳幼児は自らの生を全面的に親、主に母親に依存している。
だから、当然のこととして己の生を保証してくれる存在の意向を気にかける。
この構図の中で、子どもは母親から多大なる影響を受ける。
母親がどんなに未熟な人間であろうと、性格が悪かろうと、メンヘラであろうと関係ない。
自らの命綱としての母は神にも等しい存在である。
ここが人の人生に最初に影が落ちるポイントである。
子は多かれ少なかれ、乳幼児期から母親が抱えている光と影を引き継いで生きることになる。
母親の成熟度合いが子の人生に与える影響は計り知れない。
心理学で7歳までに基礎的な人格形成がなされると言われる所以はここにあるように思う。
そして、乳幼児期に抱えた様々な材料を元に、その人の人生が形作られていく。
苦を徹見する
人生で思い悩むことには一定のパターンが存在する。
そう思わないだろうか?
パターンは人それぞれに異なるが、人生を通して何度も経験している苦しみ。
それは、あなたが乳幼児期に背負った闇を現実世界に投影したものである。
もちろん、宿命や人生のテーマとして、影を背負うことが必ずしも悪であるとは言えない面もある。
しかし、心に大量の闇を抱えながら生きることは辛い。
乳幼児期に抱えた闇を払うために、感性がみずみずしくエネルギーに溢れた青春時代を犠牲にすることになりがちだ。
何を隠そう、私自身が人生の黒い霧を払うのに約40年を費やした。
願わくは、マイナスをゼロにするためではなく、創造的なことに若い時間とエネルギーを注ぎたいものだ。
乳幼児期。
日常の中では忘れ去られた過去。
どんなに素晴らしい親に育てられたとしても、子にとってストレスがゼロではない。
毒親に育てられたのであれば、呪いとでも言えるほどの悪影響を受けているかもしれない。
何はともあれ、生の苦しみへの直面を試みるならば、いずれ自分の親との関係を見直す必要に迫られる。
諸々の苦しみの根源がそこにあるのだから。
幸い、現代には様々なセラピーが存在する。
起きた現実を分析してみれば、自分がどのような闇を抱えているのかが分かる。
人生のパターンを変えるために、乳幼児期に抑圧した感情を開放することができるのである。
例えるなら、抑圧感情は自分の内面に映画のフィルムとして格納されており、それを現実というスクリーンに自分で映写しているようなものだ。
そんなフィルムを後生大事に取っておくのでなく、さっさと手放してしまえばいい。
あらゆる問題解決手法の入り口には、現状把握がある。
まずは、自分の中に幼少期に抑圧した感情がしっかり保存されていることに気づくこと。
現実を楽にしたいなら、ここから始めなければならない。
抑圧感情の存在を認め、それを生み出した自分と親を赦すこと。
試してみれば分かるが、そこには膨大なエネルギーが眠っている。
そのエネルギーから目を背けず、真正面から受け止めるのだ。
幼い自分の思いを正視し、改めて味わい直す。
ありのままに過去を追体験することにより抑圧された感情のエネルギーは徐々に解き放たれていく。
辛いプロセスだが、これに取り組まなければ、死ぬまで心の奥底の苦しみをごまかし続けることになる。
あなたが生まれ持ったエネルギーを感情の抑圧のために死蔵するのか、あなたの創造的な欲求のために使うのか。
どちらが良いか。
それはあなた次第である。