エネルギー消費を抑えるため
脳は身体の中でも多大なエネルギーを消費する器官である。
成人の脳の重さは、平均的な体重の約2%程度に過ぎないが、人体の基礎的な消費カロリーの約20%を消費すると言われている。
5、6歳の子どもの場合、消費カロリーの実に60%が脳によるものだそうな。
また、脳がストレスを受けると、通常よりも12%も多くのグルコースを必要とするとのこと。
日頃から物事を思考することに慣れていない人にとっては、思考はストレスであり、多大なエネルギーを消費することになるのだろう。
人体は基本的にエネルギー消費をなるべく抑えるように種々の調整が働くようになっているので、なるべく脳にストレスがかかることから注意を遠ざけようとするのだろう。
思考そのものに慣れていないから
思考には技術が必要であり、その習得には時間的、精神的に多大なコストがかかる。
また、思考停止している人間は、基本的に取り扱っているタイムラインが短い。
それゆえ、短期的な快楽は長期的な苦痛に結びつきやすく、短期的な苦痛は長期的快楽に結びつくことが多いといったことに全く思い至らない。
人間は苦痛を避けて快楽を求めるものだが、観える時間の長さでその判断は変わるものだ。
思考停止している人には、歴史を繙いて、現在を観察し、未来を類推するといった行動特性が見られない。
これは慣れの問題というか、訓練してきたかどうかの違い。
教育の問題
1つ上の項目と被るが、そもそもわが国においては、思考力を鍛えるような教育がなされていない。
与えられた問いに対して、予め決められた正解を導き出すことを求められる。
プログラムがインプットに対してアウトプットを返すような行動様式を刷り込まれてしまう。
とにもかくにも思考しないように長年かけて矯正されるのだ。
だから、思考の技術など身につくはずもないので、考えることに慣れることも当然ない。
あるいは、親から頭ごなしに抑圧を受け続けた結果、思考を放棄してしまったり、自己否定に陥ってしまったりということが原因になっているケースも考えられる。
思考停止は自傷行為
身体的、精神的、時間的な要素が絡み合って、思考停止の状態に陥っていた方が人間は目先では楽に過ごすことができるのである。
しかし、それによって失っているものの方が大きいことは間違いない。
現代社会においては、思考停止の状態に陥っている存在は、為政者の餌にされるだけである。
あらゆる局面においてそうだ。
言うなれば、思考停止とは自らの生殺与奪権を他人に委ねる行為であり、人間としての生きる喜びの大半を放棄する行為であり、自ら自分の存在価値を損ねていることと同義である。
陰謀論的な話だが、今、我々に追い込みをかけている存在は、3,000年も前から代々連綿と思考し、策を施行し続けてきて、今に至っているのである。
そして、今も常にどのようにしてこの星でのゲームをラップアップするのかを考え続けている。
そのような者を目の前にして、どうして思考停止に陥ることなどできようか。
たった数十年の人生で、3,000年の仕掛けに対抗するなどという状況設定自体、極めて難易度が高いのだが、それにチャレンジすることが今現在この星で行われているゲームなのである。
もともと、それをわかった上でゲームに参加しているのだから、自分でしっかりその状況を理解して、きちんとゴールに辿り着けるように日々努力を重ねていきたいものである。