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存在の周波数帯域

  • 2021年11月21日
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コロナで篩にかけられたもの

コロナによって箱物商売の廃業が相次いだ。

特にヨガスタジオやダンススタジオのような業態は、休業しても補助金は出なかったし、とても厳しかったようだ。

実際に、実績のあるヨガスタジオでもやめてしまったところが少なくないそうだ。

生き残ったヨガスタジオの経営者に、どのような生徒が残って、どのような生徒が来なくなったのかを聞いてみたところ、非常に示唆に富む情報を得ることができた。

前者は、わりと本気で修行の道を歩んでいる人たち。

これは非常にわかりやすい。

「好きなことをやめろ」と言われたところで、人間はそれに従うはずもない。

面白いのは後者だ。

精神的にネガティブなエネルギーを抱えている人間が来なくなったそうだ。

彼らが求めていたものは救済。

どちらも精神性、あるいは、精神エネルギーを高めると言う意味で同じニーズを持っていたのだと思う。

違いは、前者がプラスをよりプラスにする活動であり、後者はマイナスを減らそうとする活動だと言えばわかるだろうか。

例えが良いかどうかわからないが、ヒーリングとコーチングの違いみたいなものか。

翻って、教える側の目線で、サービスの中で本質的なことを教えるのみならず、何かしらの救済のようなことを行っていたがゆえに、いわゆる「お抱えさん」が通ってこられていたとの見方もできる。

サービス提供サイドとしては、正直言って、お抱えさん達には通ってきてほしくなかったはずだ。

もちろん、経営者のスタンスによるが、目先の売り上げとしては、お抱えさんであっても来てもらった方が良いのかもしれないが、スタジオの質を高める意味においては、そのような方は来ていただかない方がありがたいのではないか。

蜘蛛の糸

救済を求める人間は、いわゆる「くれくれ人間」である。

周囲からエネルギーを奪って奪って奪い続ける。

本人はそのような振る舞いをしているとも思っていないが、当たり前のように人の善意をふんだくっていく。

そのような傍若無人な人間が、周囲に悪い影響を与える事は言うまでもない。

コロナとは何ら関係がないが、お抱えさんは、どこに行ってもろくなことをしない。

組織の中で良い人材にはならないのだ。

とある経営理論でも、ある一定のトーン以下の人間を企業活動において採用してはならないと言っているが、実際にその通りだと思う。

スティーブ・ジョブズも言っていた。

Bクラスの人間は採用しないと。

類は友を呼ぶ。

ある程度の幅はあるにせよ、その存在の周波数の軸足に近い周波数を持っている者たちがその場ないし人に集まってくる。

いや、あるいは、周波数が近い者同士しか、同じ時間と空間に存在することができないと言った方が正しいのかもしれない。

私たちは紫外線や赤外線を見ることができない。

それと同じように、自分が存在している周波数帯に存在している領域としかコミュニケーションを取ること自体が難しいのだろう。

そう考えると、人生や環境を良くしていくには、自分が存在する周波数帯の少し上の周波数の人たちと常に付き合う必要がある。

そして、今回の人生で、自分は限界までぶち抜けたと思えるところまでアクセル全開で走り抜けるべきであろう。

もうこれ以上は、1回の人生では先に進むことができないと思えるくらいまで。

なぜなら、その人の存在そのものが、この世界全体の周波数を引き上げる方向に影響するとともに、ある意味の参考材料になるからだ。

仏教の正法・像法・末法の概念もそうだし、キリストの弟子もそうだし、あらゆる偉大な人の偉大さが、せいぜい直弟子までしか伝わらないことを鑑みて、突き抜けた存在が数多く世に出ていることは望ましい。

多くの人間は、物事を理解するために実物が必要だ。

であるならば、誰もが下を鑑みることなく、己の道を突き進み、自分の限界がどこまでなのかを見極めようとすることが大事。

突き抜けていない者が、自分の元々の周波数帯域に留まっていたとしても何も起きない。

同じテーブルの上で物を移動させて騒いでいるようなものだ。

これを同じ穴のムジナと言うのだろう。

入鄽垂手

とはいえ、下の方へアプローチすることも人生の終盤戦においては必要なことなのではないだろうか。

ただ、それは、自分がある程度、閾値をつき抜けた後にやるべきだが。

突き抜ける前に中途半端に止めてしまったら、元居た場所に戻るだけだからだ。

神話の法則ではないが、物事にはパターンがある。

それが読み解けてしまったら、面白くないのかもしれないが、カルマ的な意味合いの負債を増やしたり、いたずらに人生を過ごす人間が減るように思う。

善悪、正誤の問題ではないので、誰もがやりたいように思いっ切り生きたら良いのだが、せっかくなら、この世界が美しくなる方向に駒を進めていきたいものである。

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