運とは
運を直接定義することは難しい。
運が良い状態とは、当人にとって望ましい状況が起きる確率が高いことである。
運が悪い状態とは、その逆である。
運気が流れるパスが複数あり、そのどこかには必ず運気が流れ込んでいる。
別の言い方をすれば、運気が流れ込んでいるパスを好むことが運が良いことなのかもしれない。
前提として、運気が流れ込んでいない人はいない。
誰もが等しく運気というエネルギーを与えられている。
麻雀と天地人を引き合いに出すと、引きは天、配牌・手牌が地、どう判断していくかが人。
運が良い人は、天地を冷静に観ている。
運が悪い人は、手牌のいじり方の筋が悪い。
つまり、人の判断が運である。
全員がツモはするのだから、天は平等である。
お抱えさんの扱いのミクロとマクロ
お抱えさんとは、運が悪い、サゲ系の人のことである。
もし仮に、全員が勝者となってもよい麻雀があるとしよう。
しかも、人類全体でプレイするような。
その場合、お抱えさんを良い状態にしてあげることは、全体最適である。
ひいては、自分自身が楽しくプレイすることができることにも繋がる。
スポーツの試合で、相手が好敵手であることによって自分の力が引き出され、良い試合になることがあるように。
良い人をつくることは、良い機会が増えることなのだ。
これがマクロの見方。
一方、ミクロで觀ると、サゲ系の人に関わることで自分の運気が下がるから、関わりたくないというのも偽らざる人の心である。
関わって良い相手なのかどうかは程度問題だし、自分の力にもよる。
翻って、自分がついている卓を綺麗にしたり、良いマナーでプレイすることは、お抱えさんを直接指導するのではなく、環境要因によってお抱えさんの自発的な気付きが改善を促すことができるのではないか。
引き寄せ系のアプローチ
ここまで天の流れは変えられるものではなく、天地を観てそれにうまく処していくのが運の良さであると論じてきた。
その反対に、人口に膾炙する引き寄せの法則は、天の流れを変えようとする方法に思える。
次回はそれを論じてみたい。